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ありえない見え方とは?

以前ブログに書きました『ありえない見え方』について、これは誰にでも体験出来るぞ、と
思ってきましたので、その見え方に至る見え方の変化を記したいと思います。

まず普段私たちは、もの(この場合葉っぱにしましょう)が見える場合、その葉っぱのいろやかたちが
図鑑等で検証出来る様な、種や形態に分類された樹木の葉という(難しい)ようなとらえ方を
している訳ですが、その視座というのは「葉」を限定されたイメージで捕えていると言う言い方も出来る訳です。
簡単に言えば「ただの葉っぱ」だと思って見ている訳です。

それが見慣れたものでも、初めて目にする特徴のあるものでも、「葉は葉」というカテゴリーからは一歩も出ないのが、いわゆる日常的な接し方だと解釈しております。

そこで、その「葉っぱ」を今度は「ただのいろとかたち」という視点に変えて行きます。
有機物でもない、無機物でもない、名前もないただのいろとかたちだと思って見ます。

そうしてしばらくしたら「うわっ、なにこのいろ!」とか「なにこのかたち」みたいに、初めてそれを見たような気持ちになって来たら。それは「入り口」に入った合図です(笑)
「なに!このミドリいろ!!」みたいな。

自分の感性や見方がどんどん変わって行く恐怖を上手く乗り越えられれば、次第に「そのかたちを成り立たせている空間」が見えてまいります。
つまり「葉っぱのかたちは葉っぱのかたちを形成する空間に収まっている」という観点に気がつきだします。
モノを変えて野球のボールで説明すれば、ボールの球形の周りの空間(大気)が球形だから、このボールが球形を保っていられるのだ。という事が分かってきます。
つまり「ものはものそれ自体だけではなく、空間もものそのものである」という視座が芽を出して来ます。

冷蔵庫で氷を作る「型」がなければ、その型の氷が出来ませんが、自然界は正にこの型とものが同時に無ければみんなデロデロ状態の液体だというのを感じて来ます。
これは単純に「かたち」の入れ子状態という視点だけの条件でも無いので、そのかたちを成り立たせている諸条件に対する感性も必要なのですが。
(この概念はちょっととらえにくいかもしれませんので皆さん考えてみてください)

そこで、もういちど「葉っぱ」を見れば、「なんだこのいろ!なにこのかたち!!」という驚きの見え方になって行くのです。
この「葉っぱ」を成り立たせている「ある知性」がド〜ンと見えてしまうのです。
ひとによってはそれを「創造主」と呼んだり「宇宙の型紙」と呼んだり「神」と言ったりしていると思います。

さらに言えば、これほどのバリエーションがある「いろとかたち」にさらに無限のバリエーションを感じるし、さらにその無限のバリエーションに一貫して流れる共通した「知性」が見えて来ます。

雪の結晶が無限のバリエーションである事は知られていますが、まだまだほんの序の口の余裕のようなフトコロノ奥深さが見えてまいります。

今まで私たちがものや生き物につけて来た「名前」や「分類」の空しさもあります。
そういう「決まり事」が別の視座を邪魔している側面もあります。
常識とか「当たり前」という感覚ですね。
違う種類の生き物が共通の役割をしていたり、(たくさんいる)共通のデザイナーに創造されていたり、そういう自然界の面白さに気づくような「ものの見方」を沢山共有したいぞ!!と思いますわたし。

大勢で居ても、ひとりがその見方をしているとあれよあれよと伝線して行くのだと思います。
さらにこの空間に充満している光のうにゃうにゃや、自分たちやものや空間を「ひとつ」だと思える決定的な感覚に浸るツアーなど。

いっちゃんにその辺りのトレーナーになってもらって皆さんを「らく〜な世界」に入っていただきたい!!と思ってますわたし。

こうご期待。
(つづく)
by prema-maaru | 2009-05-23 11:34