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昔の絵

本のしおりに使っていたポストカードを妻が見て「へ〜昔はこんな画風だったんだ〜」と言った。
それはフリーのイラストレーターとして出発した28歳当時に描いていた絵だった。

そんな風に言われて見直して見ると、その当時の気持ちがありありと甦る。
ちなみに。。こんな絵です。
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当時はフリーになったばかりで東京から静岡に引っ越すという、ある意味「無謀」な試みをしていた時期であり、今こそ珍しくは無くなったが「地方発の作家」として売り出していた。

しかし運命というのは分からないもので、これらの作品を携え、青山のピンポイントギャリーで個展をやったところ大反響をいただき、仕事には困らなくなっていた。

大きな銀行のポスターを何枚も依頼されたり、大手の自動車会社のカレンダーに採用されるという、イラストレーターにとっては花形の道を歩いていた。

しかし、私のこころはそんな反響にいつも疑問を持っていたのだ。

「本当の絵が描きたい」

卓上で資料を見ながら、依頼された世界を描く事が苦痛になっていったのだ。

それははっきり言えば、イラストレーターという職業に向いていない。という事であり、クライアントの要望に応えるのがイラスタレーターというアーティストの役割であり、その他の現代アートのような「よくわからないもの」を次々に発表しながら、食いぶちは他に委ねる人たちのようなガチンコの生き方の方が自分には合っている、と当時の自分は考えていた。

本当の絵、、、とは、私にとってだが「思考ではなく衝撃から生まれるもの」という感覚があり、いくらお金になろうが、いくら有名になろうが、それがなんなのさ!
という、いま思えば慢心の中に居たのだと思う。

それから何度も個展を開催したが、どんどん変わるスタイルを見て業界の人が「前のスタイルでやったほうが商売になるのに」と有り難い助言をしてくれたが気にもせず、

だんだんとメインステージからは遠のいていったが、それなりに感性の合う仕事はずっと続いていた。
若くして売れてしまったものの共通の悩みというものを私は理解している。
お笑いの一発屋やデビュー曲が売れてしまったアイドルみたいな複雑な気持ち。

それでも絵を描く事は諦めず、いずれは自分が本当に描きたい絵を描きたい!と思っていた。

屋久島に移住するのもその願いが近づいたという直感によるものだった。
本物の生命の内側に入って本物の生命を描きたい。
とにかくやってみたかったのだ。

芸術はホントに好きずきで、前のほうが良かったと言ってくださる方の気持ちも今は分かる。
私もこの駆け出しの頃の絵をひさしぶりに見て、何も変わっていない私のこころを感じる。
思えば私は子供の頃から少しも変わっていないのだ。

子供の頃の強烈な思いは「自分が大人になったら世界中の子供たちに希望を与えられる」という確信だった。
周りの大人たちは皆不正直で、いつも子供の気持ちを踏みにじっている。
自分が大人になったらそういう大人にはならないので、子供たちに明日の希望を感じてもらえる。
そんな事を考えながら絵を描いていた。

そのまま46歳です!

これからが本当の私の仕事が始まると感じている。
私が衝撃を受けた「生命力」を世界中の人たちに見てもらう機会がやって来る。

これは私の野望では無く「そうなっていた」位の当たり前の流れであり、私の根拠のないような確信が不思議な事に人々のこころの奥底に在る「生命力」に点火し出す前触れです。

実は誰でもそういうメッセージを持って生まれて来た事を私は知っていて、その人がその気を出したら天地がひっくり返るようなものを、全ての人が初めから持っているのを知っているのです。

だから、わたしたちは、みな個人として在るのです。
ひとつのものを現しながら。


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by prema-maaru | 2009-10-24 16:46