愛か不安か
ものごとの根底にある動機が「愛」なのか「不安」なのかを、見極める事は、自分が幸せに向いているのか?不幸に向いているのか?を客観的に知る視座です。
本質的に言えば、この世界には「愛」しか無いのですが、
「愛」が足りない、欲しい、という欠乏感が「不安」の温床です。
「不安」をベースにしていると現れてくるこころの特徴は。
過去への後悔。未来への不安。疑いの眼差し。不信感。などです。
何も信用出来ないのです。
何が本当なのかまるで分からないのです。
不安を下敷きにすると、あらゆる宇宙の事象を最初にひっくり返して見る癖がついてしまうので、真実が逆さまに見えてしまう傾向にあります。
つまり、いつも自分が逆立ちしているようなものです。
逆立ちすると頭に血が集まって冷静になれません。
呼吸もし難いですね。
なによりいつも不自由です。
不安を抱えていると、他人が信用出来ないから常に連絡を取り合い、意思を確認したくなります。
恋人が自分を裏切らないかと不安で夜もぐっすり眠れません。
今持っているお金がいつ無くなるか不安なのでもっと欲しくなります。
こんなに人はいっぱい居るのに、いつも自分はひとりぽっちです。
一番良いのは、逆立ちを自分がやめれば良い事なんですが、世の中のほとんどの人がず~っと逆立ちしているので、自分だけがやめるのは「間違った事」だと思っています。
しかも、逆立ちは誰もがモノゴコロ付いたあたりから強要され、人生のほとんど、死ぬ寸前まで続きます。
途中で逆立ちをやめる人が少しはいますが、そういう人は大抵無視されます『あのひとは変わってるんだよ」って。
上手く行かないのが人生だと信じています。
この先にどんな不幸があるのか覚悟をしなくてはならないと考えています。
家族の為に自分を犠牲にする事が人間にとって一番の名誉だと思ってます。
がんばって逆立ちを続けて行こうと思っています。
逆立ちを人生の別名だと信じています。
逆立ちを続けていたら、いつかきっと幸せになると信じているのです。
それが本当の人生だと、立派な生き方だと思っています。
ってな感じですが。。
この問題点としては、不安で生きている人が目立たない事なんです。
なぜかと言うと、今の世の中のほぼ全員がそうだからなんです。
「私は愛に生きる」って言う人も、神仏を信仰している人も、霊性の道を求めている人も、本質的には逆立ちしているのと変わりません。
逆立ちしている地点から、「愛」を語っているのです。
語るのではなく、やめるのです。
やめる事を「目覚め」って呼んでいるのです。
だから「目覚め」は、どんなに考えて(語って)も、来ません。
そもそも、行為自体の違いなんです。
目覚めて普通に生きる事が「愛」をベースにした人生です。
人間以外の他の生き物のように、地球に真っすぐに立って生きる事が、愛の生き方なんですが、もうその時点で「愛」など消えて無くなっているのに気がつきます。
そこで「愛」は役目を終えます。
愛は不安を産んでしまうからです。
宇宙に在るのはただひとつ「在る」だけですからね。
この事をあなたは知って生まれて来たのを思い出しましたか?
その通り、「愛」も「不安」も成長と共に大きくなっていったんでしたね。
おおきな輪が完成しましたね。
おめでとうございます。
by prema-maaru
| 2009-12-23 01:51