new dimension
うしろの正面
人間の宇宙
今日は友人が開いてくれた「たき火会」に参加しました。
ちょっと肌寒い日でしたが、芽吹き出した公園の樹々と
色とりどりの木の花の鮮やかな光と
青空のコントラストが、なんだか、時間の無い世界に入り込んだようです。
途中、震度3位の揺れがありましたが、こういう広い公園での揺れは
怖さが全く無くて、大地の胎動を直に感じているようで
むしろありがたい気持ちでした。
高層ビルに居たり、地下鉄に乗っていたら、こういう気持ちにはならないんだろうな
近くにある大きな樹が「ボクに登りなよ」と言っている気がして
ちょっと上がらせてもらいました。
少し高い所から見る公園の景色は、それまでとなんだか違って見えました。
こないだのatlier23の時もそうでしたが、今回も6~7人の集まりというのは
全員とちゃんと向き合って話が出来て、会話以上の分ち合いがあります。
初めて会った方が多かったけど、みんな大好きになりました。
ありがとう。
その中でとても印象的だった話し。
その彼はミュージシャンで、とても気持ちのいいギターを弾いてくれました。
彼は先日、石巻にボランティアでしばらく行っていて
毎日ヘドロを朝から晩まで集めたり、倒壊した家の掃除に行ったり
夜は一緒に行った仲間の炊き出しを地元の方々といただきながら
その心地よいギターを弾いて歌っていたそうです。
彼は、みんなを元気づけにいったけど、むしろ石巻の人たちの方が元気だった!
なんて言っていました。
中途半端に壊れたんじゃなくて、すっかり何も無くなった人たちは
「しょうがないから次いこ~♬」という感じで、さっぱりしていたと言います。
何か悟ったような、執着の無いその姿勢を見て、「最高でした」と言いました。
ボクはそれを聞いて「それはあなたの住む宇宙が最高なんだ」とつぶやきました。
彼の眼はずっときらきら活き活きとしていて、その眼球には最高な事しか映らないようでした。
もちろん、こういう事だけじゃなく、日々の些細な事に傷つき悩む話も聞きましたが、けっきょく「さいこ~」になるようでした。
そんな彼の宇宙は、悲惨な景色も天国に見えている様です。
でも、これはどんな人にも当てはまる事ですよね。
10人いたら10の宇宙があり、観ている映画は同じでも、それぞれの感じ方は違う様に。
いつも「言い訳」とか「他人への不満」ばかり映る宇宙に住む人は、自分も同じ事を表現してしまいます。
口では「最高だ!幸せだ!」と言っていても、本音は無理している人の宇宙は、建前と本音の二重構造の宇宙がどこまでも続いて行きます。
その人の観る宇宙が、そのままその人に表れていて、外見までもそのままを表している様に思います。
これをボクは、どっちが幸せだとか、あなたも楽になった方が良いよ!とか
そういう事を言いたいのじゃありません。
そのどれもが、その人だけの宇宙であるので、それが素晴らしいんだ!
と、震災後に思う様になりました。
どんな人でも良いじゃん。
それをその人が選んでいるんだから。
それが分かるだけで良くて、あとはその人の生命力に全部お任せして
自分もそのように自分の宇宙を思い切り踊ろう!遊ぼう!楽しもう!!
でも、「それはイケナイと思う!」なんて思ったら、思いっきり気持ちを込めて相手に伝えたりもOKだと思います。
だって今そうしないと、今度会えるかも分からない世の中だから。
そんな風に、すこし力が抜けたのは、地震の揺れでゆるゆるになったお陰かな?
天然の巨大な力の前に無力な人間の力ではありますが
天然の力も及ばない「人間の宇宙」を感じております。
見方ひとつで宇宙を一瞬で変えてしまう人間の力。
これには、天然も宇宙も神も、まったく歯が立たないのです(笑)
迫り来る死の恐怖は、トテツモナイ生命力を一緒に連れて来たようです。
by prema-maaru
| 2011-04-13 05:42