<   2009年 01月 ( 14 )   > この月の画像一覧

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今まで掛けていた眼鏡が古くなりすぎたので、新調しようというアイディアを起した。
振り帰ってみたら、この眼鏡は6年も掛けていた事になる。
その間に出会った人が、今の自分の周辺の人々という事になるので、皆さんの私に対するイメージは、このアクの強い円形の黒ぶち眼鏡が多くを占めている事だろう。
それを突然に一方的に変えてしまうのをイメージした瞬間は、私が少しだけリフレッシュしたようであり、他人の外見というものは、見ていないようで案外と記憶しているものだという事に気が付いた。
こういうのは不確かだけどそう見えるような錯覚を利用した作用にも共通し、たとえば新聞の写真部分はほど良い距離では細部まで読み取れる情報であるが、目を近付けて見ればドットの粗い濃淡でしか無くなる。
そういう錯覚を逆手にしてアートにしている作家もけっこう居ます。
こういうマジックめいたものは脳を刺激してくれるような気がして嬉しく求めてしまいます。
そして何を言いたいかと言うと、これは印刷物やコンピュータのモニタ等に限った事では無く、日常の視覚や聴覚にはごくありふれた傾向なんだなと言う事。
「見ている」と、「聞こえている」と思っているものが、実は本当に狭い範囲の情報である事は他の動物の可視可聴範囲を考えれば当然だけど、そういうのを一切忘れて人間の能力に合わせてしまっているな。と思う。
だから「見えているもの」「聞こえているもの」ってもっと大きな範囲に存在しているのは当たり前で、その見えない所にぐぐっと入っていく快感というものを、意識の進化という風に思えるんでは無いかと思います。
ブログなので話が長くなるのは避けて行きますが、例えば影絵みたいに、コチラで構成されたカタチが灯りに投影されているのが今見えているカタチだとか、そういうものを逆さまに辿って行くような方程式を自分なりに編み出したい。
そんな事を考える毎日であります。
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地球暦の今年度版☆

間もなく配付されます。
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去年の暮れに、ほんの思いつきで携帯電話とミクシィを突然止めた。
どちらも必要とあればすぐに復活出来るので、止めたというよりも「お休みした」みたいな気軽さは確かにある。
突然休んでみた理由は「自分はどれほど仮想世界に属しているのか?」みたいな興味がメインの動機だった。
喫茶店でも食べ物やでも電車でもどこでも、年齢にあまり関係なく自分の位置を確保したら開く携帯電話の画面。
見ているものはそれぞれ違うが、その間のその人の居場所は、身体の位置するその場所では無く、どこかの目には見えない集合意識の集まる場所に飛んでいってしまっているのを感じ、それがたとえば居心地の悪い都会の吹き溜まりのような所だったらいざ知らず、風光明美な自然豊かな野外でもそのクセが発揮されているようなので、いっそのこと「無しにしてしまおう!」という抜本改革のチャレンシだった。
同じくミクシィも、机に座ればとりあえずミクシィを見る・・という情けないクセにたいするスパルタ的な自己おしおき(笑)であった。
携帯もミクシィも、メリットもデメリットもそれぞれの関係性の中で多様化しているのは当たり前なので、わざわざ私がそれらを自分の尺度で言うのも青いので言わないが、やめてもそれほど変わらないし、もともと無かったし、という結論に行ったのは、或意味予想通りではありました。
作品制作の怒濤の時期も落ち着き、屋久島移住に伴う結婚入籍も固まり、親子や親戚という社会的関わりを丁寧に見つめるサイクルがやって来ていますが、そういうモノも実は仮想世界の出来事であるという余裕も持った目で見る尺度を年齢と共に得たようで、一回目の結婚と移動よりはゆったりとした気持ちで見ている自分がいます。
どこまで行ってもなかなか「自分が主」というところまでは行けないように思いますが、でも出来るだけ正直な自分で在り、出来るだけ自在な自分で在る。
という牛歩のような速度をようやく始められたようには思うのであります。
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ウチはTVが無いのでこの話題は古いのかどうか分らないが、モンスターエンジンという二人組が演じる「神々の遊び」というコントを偶然YouTubeで見つけてハマった。

たぶんギリシャ神話をモチーフにした二柱の神のやりとりを見せているのだが、そのくだらなさがとてもリアリティを感じてしまうのが面白いところ。
暇を持て余した神々が民の願いを叶えてやろうと現れるが、実はその民は神が変身した姿だというパターンが付く。

神と呼ぶよりも神々と呼んだ時の人間臭さがこういう繊細なテーマをお笑いまで押し上げているのだろうが、ただのお笑いと笑い飛ばすだけでは無く、こういうものを楽しめる世の中に進んだな〜というのが正直な感想。
これは「神々」であると同時に、この社会の権威感でもあるという風にも感じさせる。

今世の中にある滑稽で浮き足だったものがどんどん崩れていっている時だからこそ、そういうテーマがお笑いという、或意味文化の最先端に登場したのだと思った。
流行や話題といったモノが時代の速度にどんどん置いて行かれているのを感じる。

巷の話題のひとつに「陰謀説」があるが、その真意がどうかはともかく、悪いヤツをこしらえて置けば安心して不満を言えるような精神構造にもそろそろ終わりを出さなければ、温暖化や金融危機で地球が崩壊する前に、人間として存在している意義自体が崩壊してしまうだろう。
悪いヤツの仲間の中に誰しもが入っているという真相を、私達は認めたがらない。

もういちど「人間とは」という古代からのテーマに真正面から取り組まなければ、周りの環境が整っても、いつまで経っても真実の人間にはなれないのだと思う。

そしてこれは皆一緒に!という訳にも行かず、まったく自分自身を見つめ直すことから始めなくては始まらない。という意味において、「みなさん大丈夫ですか?」と思わずには居られない。陰謀なんて気にしてる場合ではない。アセンションなんて言ってはおれない。2012年なんて待ってはおれない。

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な〜んちゃって。
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今は一年で一番寒い時期ですね。
お元気ですか!風邪引いてないですか!!

寒いけれど陽光の中に春の柔らかさを感じた昨日、午後からの雨も春の匂いがしました。
このところ南西の夕空に金星が抜群に輝いております。
明日は最大光度を迎えるということです。
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太陽の輝きも凄いな〜と思っていたら、この時期は地球が太陽に一番近づく時期でもあり、近いからこそ光がいつもより多く感じるわけでした。
明日1月20日は大寒(太陽黄径300°)
そして水星内合。
という天文の配置図を描く日。
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そういう日にオバマ大統領が産声を上げるんですね。
この日は旧暦の12月25日でもあります。
偶然・・というよりも「わざわざ」選んでこの日を設定した、と思っていいのでは無いかと感じます。
天の働きの力の後押しを受けて、今まで出来なかった事を実現していくような、そういう気運を世界中の人々が感じる日になるのだと思っています。
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「君あり、故に我あり」という言葉に出会って、長い間、胸の奥にあったもやもやとした気持ちがす〜っと晴れたような気分になりました。
「愛」を表現する言葉で、これほど気持ちがいい言葉があったんですね。
お互いがお互いに繋がって関係し合っている様子が、手に取るように感じられます。
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引き蘢っているせいなのか?たぶんそれが原因で、最近ちょっと感覚が変わった事があります。
先日夕陽を見ている時に、急に降って来たアイディア。

「あの太陽は恒星などでは無く、実体がない巨大な光だ。」
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「そして月も衛星などでは無く、実体がない巨大な光だ。」
この空はちょうどプラネタリウムのように、昼は青空を、夜は星空を映すドームで
せいぜい実体があると言えるのは雲や飛行物体のように見えるものだけで
青く見えるその先には巨大な天井ドームがある。
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その先の世界はこの世界をスクリーンに写したり、直接覗き見る事が出来るような
異次元の世界で、そこには私をずっと観察している誰かがいる。
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その人達から見たら私達の一生なんてほんの一月位、もしくはひと夏ほどの長さしか無く、どんなに思い入れを持って見ていてもあっという間に居なくなってしまうような
はかない一生。
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私達がこの世界に憂慮したりするほどには、秩序は狂っておらず、むしろ順調に廻っている。
ただエンジンを回す燃料という役割で様々な不安や恐怖が必要にされている。
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と、ずっと考えていたら、こういうのは子供の頃に考えていたことだな、と思った。
世界が狭い・・と言うの、はいま目に見える事や自分の知っている事だけでこの世界を組み立てるというものなのだろう。
もうすっかり子供では無くなってしまったが、それでも私は今まで何を見て何を発見してきたのだろうか・と思う。
別に謙遜して言っているのでは無い。
自分で「見た」といえるものは何があるのか?
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そして別に焦っているのでも無い。
「見た」とか「知っている」と思い込んでいる事が、生きているという感覚なのかも知れないな。と感じた。
それでも何ごとも無く、そしてフレッシュな風を運びながら、地球は廻っている。
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去年の11月位からでしょうか、とにかく一日中絵のことばっかり考えるようなサイクルに入り、文字どおり引きこもって朝から夜まで描いています。
年末年始のお誘いも出ず、クリスマスも正月も無くひたすら絵を描くというのも、なんだか中学生時分に戻ったような感覚で面白いものです。
お陰で地元の友達等は私がすでに屋久島に移住してしまったと思っているに違い無い。
屋久島は今年の4月頃に移る予定だが、それが決まってから「行く前にやらねば!」と、こちらで出来る絵の準備という心構えで描いています。
むこうに行ってしまえばこちらで考えていた事なんぞすっかり忘れてしまうのが予想出来るもので、大自然の中に入ってそれそのものに包まれる感覚と、現在の都市に住んでイメージする天然自然の姿では、月とスッポンの差があると感じています。
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だから私にとって屋久島に住むというのは「あの世」にすっかり行ってしまうようなもので、行ってしまったら戻れない「今の感じ」をしっかりと止めておくのも大切な仕事であると感じている次第です。
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毎日描いていると自分では意識していないようなものがあぶり出されるもので、影響を受けたアーティストなんかのスタイルが自分に染み込んでいるのをイヤというほど思い知ったり、クセや偏見や、好みという名のエゴなどがどんどん見えて来ます。

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しかしこれもむこうに行ってしまえば微笑ましい前世の思い出のようになると思い、出るままに出しているのであります。
むしろドバドバと出し、あわよくばそれらの源にたどり着くという荒療治を目論んでいるというのもあります。
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今まではただぶっきらぼうに作品を描いたら即アップしていくというクールなスタイルを貫いてまいりましたが、元来「人好き」なもので、こういう場でもコメントをいただいたり来場者が増えたりするのは「励み」になります、これからは絵と共に日々感じている事などをば書いて行きたいと思う所存であります。
もし出来ましたらお友達やお知り合いの方々に「こいうブログがあるよ」なんて教えていただけると来場者が増えて増々の励みになります、何卒よろしくお願い申し上げます。
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この絵を制作している間、この冬初めて雪が舞いました。
雪が降ると辺りのバイブスは一変します。
このところ、太陽の光りが一段と輝きを増したような気もしています。
何か確実にメッセージを伝えてくれているように思います。
アスファルトの街に住んでいると、そういう天体現象が自然の情報の頼りです。
寒いこの時期こそ、出来るだけ太陽や月の光りに直に当る事を心掛けています。
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