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昨日は残る名古屋の日々を惜しみ、夫婦お互いの親友の家に夕飯を御馳走になりに行く。
私達の結婚、屋久島移住の事、本当に喜んで祝福してくれている。
妻の昔からの友人であり、それとは別の場面で私は名古屋に住む前に出会っていた。
その出会いの日が今日まで続く「正直への道(笑)」の初日だったのだから、私にとっても彼女は他人とは思えないひとだ。
何か自分の内側からそっと見つめていてくれるような存在と言おうか。
2007年のちょうど今頃のある一日、私は友達数人とは一日中焚き火をして過ごしていた。
刻々と変わり、まったく同じ表情にならない火に魅せられていた。
太陽が昇り、真上になっても、日が陰り、夕陽になっても、星がまたたき月が昇っても。
ずっと焚き火の前で火を見つめていた私に心の底からこのような言葉が湧いて来た。
「正直に生きよう」
なぜそう思ったのかは知らないが、それからというもの、私にとっていつも「正直」という価値観が一番の優先順位になった。
それまではウソで塗り固めた自分というモノを、アタカも実在するかのように振舞っていたのだと思う。
自分が作り上げた「こうありたい自分」を「事実」であるかのように、周りも気づかないだろうという風に装っていたのかも知れない。
その日(火)から少しづつではあるけれど、自分の正直を見つめ、ウソを無くして行く方向に転換したように思う。あの焚き火から。
その焚き火にひょこっと遊びに来たのが昨日会った彼女だったので、それは或意味私の第二の誕生の証人というか、立会人というか、そういう親しみがあるのだと思う。
正直道に入った私の環境は眼に眼に変わって行った。
それまでの生活を終えて、自給自足の農園に移住をする。
しかしどうしても馴染めず、わずか3ヶ月でそこを出る。
無一文で立山の山小屋に住み込みで入る。
アパートを借りるわずかなお金を持って名古屋に来る。
そして今の妻と出会う。
そして屋久島〜

変動の人生です。
その間にあった事、感じた事は語り尽くせない程あり、時間が経つにつれて以前より冷静に観ている自分もあるが、この汚物があぶり出されて行く感じは、正に「正直」の為せる技。
自分の汚いトコみじめなトコいっぱいいっぱい見つけました。
これからますます加速するんだろうな〜と覚悟しています。
正直の道は果てしなく、どこまで来れば「上がり」というものでも無いように感じます。
折り返し地点を過ぎたらまた果てしない荒野が見えてくるようなもの。
それはいいとして・・・・

彼女には産まれて4ヶ月の赤ちゃんがいて、その子を見ていて思ったのは、持って生まれた性質というのはホントにひとりひとり違うな〜と思いました。
最近の赤ちゃんは何か悟ったような眼をしている人が多く、この子達が大人になる20〜30年後の地球が楽しみでもあるのです。
春分の私達の送別会にも沢山の産まれたての赤ちゃんが来てくれて、是非この子達とは今後も縁を繋ぎ、あの日はキミ来てくれたんだよ。なんて話すのが楽しみです。
「性質と性格」
性質は先天的なものだと思い、それは正直そのものなんじゃないかと思います。
性格は成長するにしたがって周りや自分が育むものであり、そこには個人的なものや今の社会の常識や価値観が含められて歪められ、彎曲され、フタをされ、散々な眼に(笑)あって。
だいたい皆が悩むのは自分の性格の事なので、それはイコール社会の問題点にもなっているように思います。
幼い子供達を見れば分るように、生まれ持った性質は誰でも個性的で、そのままが表現されていく社会というものをイメージした時に、何か未来へのヒントがあるのじゃ無いかと思っています。

ともあれ、私はこれからますます過激な時空に突入し、正直道を増々ばく進するのです。
屋久島はイメージ即現実のパワフル島です。
みなさん応援をよろしくお願いいたします。

*これから引っ越しに取りかかりますのでブログはしばらくお休みです。
 読んで下さってありがとうございました。
 ネット環境が分りませんが、いずれ再開しますので、しばらく時間が経ったら又覗いてみて下さ
 い。
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春分の日の午前中に入籍し(10:13)昼から両家のお食事会、夕方からは私達の送別会を兼ねた結婚のお祝の会があった。
沢山の方々がいらして下さって、そして思い掛けない人からお祝の花が届いたり、充分とは言えないが、もうしばらくは会えない友達と会えた事がとても嬉しかった。
遠くからわざわざいらして下さった方も大勢いました。
みなさん、心からありがとうございます。
私達ふたり、これからもみなさんと笑顔で会えるよう笑顔で生きて行きたいと思います。
どうぞ屋久島の我達家に遊びにいらして下さい。
ゆったりとした時間の中で、ゆっくりとお話でもしましょう。
庭で火を炊いて魚でも焼いて宴をしましょう。
庭先に温泉もあります。
星空を仰ぎながら湯に浸かりましょう。
楽しみに待ってます。

そしてこの写真はパーティでお配りしたシールです。
今まで描いたものを直感的に選んで、デザイナーのミカちゃんに作ってもらいました。
なかなか丈夫なツクリをしていて、携帯電話等に付けたり、車のボンネットにも可だと言う事です。
それぞれ「魔よけ」や「ダイエット」や「胸焼け解消」等の効果があると思われますので(笑)各自御自由に貼って遊んで下さい。
*欲しい人は送りますよ〜
 メッセ下さい。

春分の日に向けて、様々な解毒を経験しました。それは精神的にも肉体的にも。
今まで自分が忘れていたような事が急にクローズアップして来てその対処に翻弄されたり、体調が急に落ちたり。
そして私達自身を見つめてみれば、お互いいい歳であり、人生の必須科目もソコソコに味わって来たという自覚を持っているし、「性格」の奥にある「性質」に気づいていて、変えられる事と変えられない事を知っているから、若い世代の結婚が入学式だとすれば、私達のそれは進級式のクラス変えみたいなものなのかと思っています。
人も土地もすべてが一気に変わってのスタートを切ります。

屋久島に住む・・・という事がどういう事なのか?

それをいつも意識していたいと思います。
住めば都というけれど、それは逆に言えば「どこに住んでも同じ」という事でもあり、受け身で居ては変わるものにも気づかないという退屈な日常を送ってしまうかも知れません。
「何も無いけど全てがある島」といわれる屋久島。
もうすぐ私達も島民になります。

もともとひとつだったものに振動がおきて分離が始まった。
光と闇、善と悪、神と悪魔、陰と陽、そして対になるもの全て。
過去と言ったり未来と呼ぶようなものは無く、おおきな「今」の連続が続いている。
宇宙の本当の名前は「今も始まっている」という。
祈りとは、願いや要望を念じる事では無く、自然との一体感を感じながら、負荷の無い状態で生きている事を言うのだ。
言い換えれば祈りとは、丁寧で正直な日常そのものなのです。
なにも特別な日に特別な事を念じる事では無いのです。
この宇宙の真実は無味乾燥としており、あまりにも退屈なのです。
負荷や苦労や不幸というスパイスが無ければ、喜びや愛や友情という甘味が無ければ、あまりにも退屈すぎて、生きるのが辛くなってしまうのです。
ソコんとこよろしく

by・・・・・・・・・・・・・・・MS

ありがとうございます。

あと一週間ほどで引っ越しになります。
屋久島に移ってからもしばらくがブログの更新も出来ないと思いますが、落ち着いたら復活しますので、ちょくちょく覗いて下さると嬉しいです。
これからもよろしくお願い申し上げます。

マシマ タケシ
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ここ数年取り組んでいる「手描きTシャツ」のインスピレーションの波がやってきました。
屋久島から帰って来て、そこに居る自分達や友人をイメージして浮かんで来たものです。
毎年「こうしよう」とか「ああしよう」ではなく、その時に一番輝いているアイディアを
チューブからニュっと出すように表現したものが、その年の流れを作っています。
特に4枚目のキナリのボディに描いたにじんだ水彩風の「new dimension」シリーズが、今年度の傾向をリードして行きそうで、今から制作が楽しみです。
絵を描くキャンバスをTシャツにして、しかも着れるという、ひと粒で二度美味しい!
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屋久島移住の準備に走り回っております!
やはり島内で手に入るものは限られており、特に画材などは完全に無理です。
前もって自分の使いそうなものをまとめて世界堂に注文して送ってもらう事になります。
昨日NTTから「重要なお知らせ」をもらいました。
私達の住む地域だとネットが使用出来ない可能性が「大」だというものです。
これはデータをネットでやり取りする私にとっては死活問題であり、究極の選択を迫られている。
と、大袈裟に言ってますが、家で使えなくても向こうに行ってからの人の縁でなんとか出来るだろうと思っていますので、もし家内で使えなくても短期間だと思います。
昨年暮れに携帯を止めて、しばらくは不便な感覚や友達から疎遠になったような寂感がありましたが、禁断症状が過ぎてからはむしろ快適です。
携帯で一番良く無いのは、例えば誰かと会って良い時間や深い話をしている時にメールや着信があると、その度にお互いに流れていた交流が中断されてしまう・・など、落ち着きの無い設定を強いられる事でしょうか。
「どちらが大事なんだ!」という事ですね。
同じような事がネットにも言えて、取りあえず見る〜から始まって気が付くと何時間も・・という、私の意志の弱い部分を見事にすくい投げをかましてくれます。
これからは、必要な時だけ必要な事に使う・・という「道具」の基本に還っていただけるように思います。
屋久島から戻って来た晩に夢を見まして、何万年も絶妙のバランスを保っていた山の頂に立つ巨大な球形の岩を、私がちょこんと人指し指で押したらイッテしまいました。
山の斜面を速度を上げながら転がる球をどうする事も出来なく見つめているオレ。みたいな夢でした。
ここ数年は変動の大きな年月でしたが、今回のコレはそれらに匹敵出来ないような大きなものを動かしてしまうんだぞ!みたいなコトを私の潜在意識は感じているんでしょうか?
ともあれ、ネットが使えないという、或意味時代を逆行するような流れに入るように見えて、実は時代を先取りしているんだぞ!と本当は思っています。
携帯やネットが普及して失っていった感覚を実感しながら育てられる環境なのかも知れません。
どちらもわずか10〜20年位の歴史です。
「やがてコンピュータは全て停止する・・・」
ヒトの頭脳がバーチャルを必要としなくなる時代がやってくると思います。
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屋久島の家が決まりました。
これは家の前から南方向を見た風景。
海があります。
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移住するというのに初めて行ったわけですが(笑)
兎に角、いつも絶景に圧倒されていました。
海を見ている眼を背後に転じれば急に切り立った山がそびえている訳で、
所々に川があり、磯があり、砂浜があり。
今回は生活の諸準備の為の訪島だったので山の中には入りませんでしたが、それは段々とおいおいと。
イメージしていたより大きな島でした。
五角形の形をした島の周りを一本の道路が取り囲み、坂の多い上下の蛇行軌道を描きながら進んで行く様はまるで空間飛行のよう。
どこに行くにもこの一本の道を使って行くという特異さ。
場所場所が時計の時に当てはめられるので、ここは「何時の場所」みたいに言えます。
山の上の方は北海道の気温に相当し、里は南国の気候。
垂直分布する植生の豊かさが世界でも稀なので世界遺産に選ばれたのです。
ここは何もかもがまるで違っています。
何もかもギュ〜っと凝縮したようなバイブスは、自然ももちろん人間も。
私はまだ知らぬ前に「屋久島は別の星のようなものだから」と言っていましたが、それは当っていると思いました。
日本語が通じる日本の文化をベースにした小さな惑星X。
そこでどのように生きて行くかは、それぞれのこころのかたちの表れのままなのではないかと思います。
期待と重圧。
気が引き締まりつつ、緩みます。
家には二反位の畑地が付いて来ました。
裏庭には火を炊けるカマドもありました。
少しづつ住みやすい風にきれいにしていく楽しみがありました。
家からすぐ先には海中温泉もあり、干潮時に入れます。
夢のような、そして映画のようなロケーションでした。
あと少しでそこの生活が始まります。
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