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今朝は急に思い立ち、尾之間温泉入り口より奥に入る「蛇の口滝」までいってみた。
事前情報で「ひる」が多いという不吉なプレッシャーは進む内に忘れてしまうほど
山道の美しさ。
ところどころで立ち止まり、しばらくじっとしたり目を閉じたり、まったく誰にも会わなかったので
私は自分が人間なのか動物なのか何者なのか分からなくなってしまった。
「見る」という、視覚をこんなに意識した事は最近無かった。
目を開けて見るという「見る」と、感じるという「観る」の違いが、山の奥に入れば入るほど強く感じられた。
景色を見ている私の目を閉じれば、森を観ている私の奥の私が居る。
そういう2つの視座を楽しみながら小一時間ほど、ようやく誰かの気配がしてきたので
大きな岩のステージをその人に明け渡し、私は温泉への道へ向かう。
以前から確信があるが、山の奥深くに入る時はなるべく「ひとり」が良い。
一人でなくては感じられないささやきの声が多いからだ。
そして不思議な事はひとりじゃないと起きないと決まっている。
その話を誰かにしても信じてもらえないような体験をしたかったら、絶対一人で行くのが良い。

来る時は私の背後だった景色を前面に見ながらもと来た道を戻る。
登りとはまったく違って見えるその道。
登りに感じた心細く不安な時間の流れが、ひっくり返って安心とゆったりした充実の時間に変わっている。
登る時は自分の内側に入っていくようなもので、下る時は時分の外側をなぞるように歩く。
うしろの正面だあれ?
その人が誰か知りたいのだったら、おしゃべりをしすぎないこと。
そうすればそっと覗かせてくれるはず。
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私の家は島のちょうど真南に位置し、比較的にぎやかで都会的(笑)な島東部に行くには骨が折れる。
この感覚は島に住んだ時点ではまったく予想しなかった距離感で、来たばっかりの頃は物珍しさもあり、一日に島を2周するほど車を走らせても何ともなかったものだ。
しかし屋久島は一周130kmもあり、ほとんど信号の無い見晴らしのいい道を時速50k超で延々1時間走らせて、やっとこさ目的地に着くという感覚に馴染んでくると、この1時間が途方もなく長く感じてくる。
景色を味わえる日中ならまだしも、街灯のほとんどない真闇の道をひたすら走るのは出来るだけ避けたいと思い始めるのにあまり時間が要らなかった。
日中と言えども1時間の運転はこの島の持っている「時間」に合わない感覚があり、どんどんおっくうになってくる。
しかも屋久島はガソリンが本土の1.5倍ほどするので、見る見るタンクの値が減ってくるのは心に悪い。
良く聞く話だが、島に移住した友だちを訪ねて来た本土の友人が、空港や船着き場に迎えに来て欲しいと当たり前のように言うんだよね!と、これは屋久島に住んだ人でなければ分からない感覚なのかも知れない。
友情よりも実感する時間感覚を優先する島時間(字余り)
やはりまだ太陽がキツくない今の季節は歩くのが一番の時間の使い方で、自転車や原付バイクなどが自動車のような「空間そのまま移動手段」よりも断然気持ち良い。
歩く事で見えてくるものや気がつくことは格段に増える。
車とは違い、歩くのは1時間でも何も惜しくなく、昨日も歩きながら島を一周歩く旅を近々やりたいな、と思った。
島の方々に散らばる友だちの家に厄介になったり、小さいテントを張ったりしながら何日かかけて屋久島を回る旅。
本格的に暑くなる前に、台風や寒さに邪魔されない時期。。。となると、今か秋に入ってからしかあるまい。
しかし私はまだ縄文杉にも行っていないので、まづは屋久島本尊であらせられる縄文杉に挨拶に伺わなくてはなるまい。
いやいや、時間はいっぱいある。
あせらずに行こう。
さっきも家のすぐソコの橋の上から破沙岳を眺めていて、図らずも涙を流してしまった。
何の感情も無く、ただ涙がながれるほど美しかった。
美しいというのは自然でも女性でも、本当に感動するものですね。
美しいものに気づいたその瞬間、自分を覆っていたウスカワがめくり上がり、自分の本性がふっと顔を見せる。
その自分のほんものの自分にどれだけ出会えるのかが、行きている目的のように感じています。
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屋久島に住んでから20日が経ちました。
最初の数日は引っ越し事項にやっきになっていたので、そのまま名古屋からの延長の時間が続いていたのだと思いますから、ようやくこの一週間ほど、地元の方々とも触れ合い、生活している感覚が実感されて来たように思います。
そして、この20日間を振り返った感想を率直に書きたいと思います。
私は山形の日本海側の小さな町に生まれ、18で東京に行き、28で静岡に行き、44で富士宮の農家に入り、その後立山の山小屋で暮らし、45で名古屋に行き、46で屋久島に来るという移動の多い人生を歩いております。
それぞれの場所で一年に数回、あぁなんて自然が素晴らしいんだ!とその街で暮らしていて思った事がありました。
東京や名古屋は年に数回だったと思います。
静岡や富士宮はその倍くらいには思ったと思います。
立山では毎日感じていたように思います。
そじてここ屋久島では、一日に何回も!思います。
正確に言えば、一時間に一回以上あります。
この島は並外れていると思います。
この島を創った神様は、どうしてこれほどサービス精神が旺盛なのでしょうか?
ガイドブックに出ているような場所も当然ですが、集落のある、特に名前のないような岬や入り江や、庭の雑草やそこから見える岳や雲や夕日など、それらが全て「目一杯」に輝いているのです。
まったく容赦無く、一歩も譲らず、いっさい手を抜かず、この世界の生命の多様性を「いろとかたち」に表しているのです。
私は屋久島に来る前に「屋久島は自然の豊かな島なんだろう」と思っていましたが、それはちょっと見当違いだったと思います。
この島は「豊か」を通り越して「これでもか」のバイブスに浸かっています。
片時も飽きさせる時間の無いような緻密なエネルギーが充満しているのです。
だからここで暮らす人も半端ないです。
本当に皆個性的です。
ひとりひとりが特別の人生を与えられたかのような、そういう気がしているのです。

実はこのブログを読んで下さっている本土の皆にお伝えしなくてはいけない事があります。
私もいっちゃんも「屋久島に来てね〜」なんて気軽に言い過ぎました。
今現在、私たちふたりは「屋久島」の凄さにまだまだ同調出来ていません。
日々に出会う事、感じる事を確認するだけでも一苦労なのです。
皆さんが遊びに来てくれても充分に御相手を出来ないと思います。
ので、まことに申し訳ありませんが、来てくださるのは嬉しいのですが、あまり私たちを「あて」にしないようにお願いしたいのです。
自分たちの事でいっぱいいっぱいですから、細かい気遣いはまったく出来ません。
その辺りの事をメールや電話でご確認の上、ぜひぜひ屋久島にいらして下さい。
何がどう凄いのか?を、まったく新鮮な場所で共に味わいましょう。
この島はそれを毎日何回も体験しても、一生を過ごせる位に大きな島なのです。
数日の旅行で体験出来る凄さもたしかにありますが、住んでみて初めて感じるものは半端ありません。



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屋久島の写真はガイド本などで散々ご覧になっていることと思いますし、いっちゃんはガイドですから毎週いろんな場所に行くので、そのあたりの写真はおいおい載せて行きたいと思います。

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近所を散策する余裕が出て参りました。
狭い範囲に驚く程おおくの種類の樹や草花があります。

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庭にあるバンジロー(グアバ)の樹から葉を数枚いただき、お茶にしようとしています。

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屋久島に来て一番最初の絵がこれです。
題名は「いのち輝く島」
お気に入りのバンジローの樹の下での撮影です。

屋久島に来て二週間が経ちました。
今はただ自宅の周りを散策しているだけで、それだけで胸がいっぱいになります。
そういう眼でこの島全体に意識をしていったら何年楽しめるのか分からないほど、屋久島は大きな島だと思いました。
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「屋久島すごいよ!屋久島ヤバいって!!」
去年の10月26日に名古屋のトライバルアーツで宇宙人お〜ちゃんの出演するライブがあり、私は初めて会ったお〜ちゃんからこう聞いた。
「屋久島はどんな感じなの〜?」と聞く。
「こんな感じだよ〜」と自分を指差し、瞳をキラキラさせて嬉しそうに喜ぶお〜ちゃんにこれ以上ない説得力を感じて(笑)私は屋久島に住むことを決意した日だった。
だからこれは冗談のようだが、本当の話です。
その日はいっちゃん(妻)の誕生日であり、それは私がいっちゃんの本質に気づいたというスピリチュアル体験をした日でもあり、ダブルの衝撃波は私の軌道を大幅に変えたのだった。
私はその夜ずっときらきら笑っていた。
気づきによる歓喜の体験というものではないだろうか。と思っている。(目撃者は麻理子)
その宇宙人お〜ちゃんのライブが屋久島の天然村で昨夜あり、上の話をしたら「そういえばそうだったね〜」ときらきらの瞳で「屋久島ヤバいよね〜」「ヤバいよね〜」とそれしか言わない。
何がヤバいのかと言うと、これはどう言ったら伝わるのかとフと迷う。

今朝は原付で片道25分の「大川の滝」に行った。
その間の県道から見える風景、風に混じる花や新緑の香り、薄曇りの空が映る海の優しい色。
その全てが特別なものとして普通に在り、帰りに寄った中間の浜に咲く花や葉っぱの勢い等を見ているだけで、それだけで私はキマったような状態になり、現在までに様々なものに触れて「これが自然だ」と感じて来た自分の感性が、まだまだ全然何も気がついていなかった事を思い知る。
今目の前にあるものは今まで自分が生きて来て初めて触れると言える程特殊なものでは無いとは思うが、「これは初めて見た」と脳が感じているのだ。
だから昨日までの事が、さっきまでの事がそんなに重要な事では無いと感じてくる。
常に新鮮であり、興味は「今」に集まる。
昨日までの特別な感動が日々上書きされていくような場所。
それが(人によるとはしても)何年経っても色あせない場所。
私はそんな場所を他に知らなかった。

私は生まれて初めて蟻や樹や草に触れ、鳥や波や風を感じている。
そんな言葉がいつでも言えるような生活という日常。
人間と普通の感覚としての「慣れ」が揺らぐ磁場の島。
オチオチ安心していられるハズもなく、同時に大自然に委ね切っているような矛盾。
そんなヤバいバイブスが満ち満ちている島。
お〜ちゃんの言った通りでした。

こんな所に住めるなんてよほど善行を積んだとか、前世でイイ事をしたとか、余談ですが、私は最近の霊的な認識で「前世はない、魂は輪廻転生をしない」と確信を得たのですが、それでも「前世」のせいにしたくなる程、宝くじに当たったような感覚でいます。
これは本当に私の仕事を通してこの感覚を伝えるような働きに持って行かないと、
お天道様に申し訳ないと思う気持ちです。

このところ、屋久島に30年前に移住したセンパイである、詩人の山尾三省さんの本を今更ながらに読み、氏の知性の大きさ深さに驚愕しています。
このような叡智の巨人」が屋久島に存在し、多くの人々と村を創っていた。
軽々しい「エコヴィレッジ」なんて台風のように吹き飛ばしてしまう大きな知性。
こういう仕事をした人を先駆者に持ち、いままでもこれからも沢山の才能を招集し続ける屋久島ですから、世界遺産という名に相応しいような、自然環境であり人間環境でありを大切にして進めていく事が、地球にとっても太陽系にとっても大きな財産なのだな〜と、しみじみおもふ君あり故に我在り。
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車が一台なので、夫婦ふたりが乗れる用に中古の安い原付を買いました。
私は初めて原付に乗るのですが、バスで南国オートというバイク屋がある安房という集落に行き、帰りは乗って25キロほどの旅という、道の事情が分かりやすい屋久島ならではの行為です。
初めの内は速度感がつかめず、生け垣に突っ込んで店の人をハラハラさせながらですが、家のある平内に島を右回りに走りました。
晴天の新緑の風を受けながらのドライブは幸せいっぱいの気分です。
島の事を知っている人には説明がいらないと思いますが、屋久島で原付ドライブというのは、たぶん現在の地球の娯楽の上位を占めるのじゃないかと思うほどの快感があります。
途中尾之間温泉で湯に浸かって、家に着く頃には原付の速度に慣れていました。

毎日いろんな事があります。
何を見ても新鮮で、それをこうして文章で伝えようと思っていると新たな発見がやってくるので、なかなか編集出来ません。
それを何年も住んでいる人に伝えたら「その新鮮さがず〜っと続いているんだよな〜」って言ってました。
観光地とか景勝地とか、そういう場所というよりも、屋久島はその空間そのものが生命で輝いているように感じます。
だから常に新鮮で斬新な宇宙の最新情報で満ちあふれているのです。
 
生活もほとんど落ち着きました。
揃うものもほとんど揃い、家の中の事から庭や畑の方に興味が移ってきている感じです。
落ち葉を集めて夕方に焚き火をしています。
小屋にもスコップや熊手やら鎌やら仕事道具が揃い、かっこイイ感じになってきてます。
本土の皆さんが遊びに来た時には農作業や大工仕事の手伝いをしてもらいますので覚悟していて下さい。

先日屋久島で第一回目のアースデイがありました。
実行委員の人から子供のお絵描きコーナーを頼まれていたので昼から出かけました。
なーやのふとした思いつきから地球暦を元にした太陽系のその日の惑星の配置図を1兆分の1のスケールで描いてキャンドルを灯そう!という事になり、私といっちゃんとで位置を決めて皆にキャンドルを配置してもらいました。
遠くから見るとまるでミステリーサークルのようでヤバイです。
夕闇が訪れて空には本当に満天の星が輝きます。
その太陽の中心でクリスタルボールとシンギングリンのセッションがありました。
ため息が出るようないい時間でした。

屋久島は何故か共鳴系倍音系のミュージシャンが多いように思います。
それに場所に合っているように思います。
多分この地球が回転している音が、ここにいると意識に上がってくるんじゃないかな。
私たち人類の意識から消えている(でもおそらく超巨大に鳴り響いているであろう)回転音が花崗岩で作られた屋久島に共鳴しているのではないかと感じました。

屋久島アースデイの本番は4月22日ですが、その日は海岸のゴミ拾いです。
そういう基本にしっかりしているトコロも屋久島のフトコロの深さです。

*頭がおかしくなったのか文章があまりまとまっていない事をお許し下さい。
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屋久島に上陸してから一週間が経ちました。
ほぼ諦めていたネット環境ですが、あっけなく通ってしまいました。
実は一週間ではありますが、世間から遮断されている(している)のもなかなかいいモンだなと思っていたところです。
じんわりした時間を心ゆくまで味わっています。
この感覚は言葉にはなりません。
言語化してしまうと感じているものとの違いが切ないほどあります。
人間は本当に満足してしまうと表現しなくなるんじゃないかと思ってしまいます。
不満があるから表現をくり返すのかも知れません。

屋久島の家の裏にある小屋に蟹が住んでいて、雨が降ると皆一斉に出て来て遊んでいます。
それを蟹に知られないようにこっそりと眺めるのが楽しみになっています。

今日やっと家の下にある平内海中温泉に入ってきました。
何故か屋久島はフランス人に人気があるようで、このところ毎日白い肌の男女で賑わっています。
日本人男子らしくふんどしで登場したら「ミシーマー」「ミフーネー」と本当に言われ
赤面しながら一緒に湯に浸かりました。
干潮時に現れるという野趣あふれるミヨウバン湯です。

わずか一週間ですが、ここに至るまでの人生が夢の中の出来事だったんじゃないかと錯覚しています。
それほど屋久島の時間はじんわりとリアルにくっきりと存在しているのです。

*静岡時代のアトリエ23のデッサン会でかおりちゃん(当時10才)描いてくくれた私の顔が今の気分にぴったりでしたので・・・・
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