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九州旅行から屋久島に戻りました。

今回の旅の目的のひとつは、
私はいま毎日幸せな気持ちで安心して絵を描いていますが、それはこの生命力溢れる屋久島にいるという効果がもたらしてくれるものなのか?
はたまた自分の感性がすっかり変わってしまったのか?
というものでした。

高速船に揺られ、高速バスに飛ばされて、初めて訪れる福岡は思っていたよりもずっと大都会でした。
夜の9時すぎに着き、地図とおまわりさんに聞いてやっとたどり着いたホテルは、なんとカプセルホテルだったのです。
開店記念で料金がサービス価格で普通のビジネスホテルよりもぐっと安かったのは訳がありました。
新築なのでとても綺麗なのですが、窓も無く天井がすぐソコにあり、部屋には鍵も無く、ロッカーに荷物を押し込んで「やれやれ〜」と思いました、
しかしお風呂に入ってベッドに横になって居た時に、不思議と安らかな心で居る自分に気づきました。

コンクリと鉄板とプラスチックで作られた無機質なその部屋は、我が家とは対極です。
私の家は横に川が流れせせらぎがあり、海の波の音が心地よく、秋の虫や鳥のさえずりがしている木造の古い民家です。
寝ていてもいろんないのちの声がささやいているような環境から、一気に救急車や車のクラクションや空調の音が流れるベッドに横になっていても、私はいつもいる場所に居るという気持ちでずっと過ごせたのです。
ここで言う「場所」とは身体の在る場所のことでは無く、こころの在る場所という意味合です。

その晩の内に都会に半年ぶりに行った目的は達成出来ました(笑)
もうどこに居ても「いまここにいる」という事には不安がありません。

ただ、その無機質なものに囲まれて生活している人たちの疲れ切った気持ちも感じました。
いま、私は屋久島に頂いた「いのち」あふれる作品を個展として全国方々で開催したいという野望を持っているのですが、その作品は素材そのものが「いのちあふれる材質」で作られたものにしようと思いました。
そうしたらどんなに無味乾燥としている部屋にも温かみを持っていけそうです。
途中で寄らせていただいた阿蘇の野風ムラでその具体的なイメージが浮かび、これが実現できたらすごいぞ!というのが今は私の心を躍らせております。

この少しの旅で本当に沢山の事に気づかせてもらえました。
どんなものでも、それ以外のものが無くては存在出来ないという事。
たとえばここに雑誌があるとしたら、その雑誌を編集したりデザインしたり写真を撮ったりする人が居なくては雑誌はありません。
そしてその雑誌の紙の材料になる樹が無くては雑誌は作れません。
そしてその樹を切る仕事をする人が居て、樹を育てる太陽や雨や大地や鳥や動物や虫達。
そこに携わる人々の両親やその身体を育む食べ物等、、、
途方も無いものの関わりでこの雑誌が目の前にあるという事があまりにもすごすぎて!

この世界のあらゆるものは皆お互いに関係し合い出来ている事に、私は都会という場所がその大きな学びの場所だという事を発見したのです。
いまさらですが(笑)

という訳で、屋久島に戻ってきました。
実はけっこう忙しく、毎日の棒踊りの練習や稲刈りや友だちも泊まりにくるし...
また落ち着いたら絵の制作に戻ろうと思います。
同時に個展に展示する作品の構成にも入って行きます。

どうぞ今後とも「いろとかたち」をよろしくお願いします(選挙みたい)
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振り返ればやはり皆既日蝕が境目だったと思う。
春分に名古屋の友だちに送り出してもらい、住み出した屋久島の言いようのない「もの凄さ」に圧倒されて、毎日が翻弄された日々だった。

新しい場所や新しいヒトの桁外れな存在感に右往左往しながらやっとたどり着いた皆既日蝕。
その時期は人の多さも事件も出来事もピークだったように思う。

人をかき分けていっちゃん(妻)と二人で高台に登り観た(浴びた)闇の儀式。
太陽が遮断されていた数分間のことは、今でも言葉に出来ないような異様さを放つ。
そして二人とも「もう遊びは終わりだな」と「本当が始まったな」感じていた。

それから周りの人も流れもどんどん速度を増して動き出し、私も妻も「本当の自分」を掴む為の通過儀式をそれぞれに行っていたような秋分までの流れだった。

私は自分が子供の頃からずっとやって来た唯一の事、「絵を描く事」がただ自分を表現するという事だけでは無く「皆に喜んでもらいたいから」という衝動に変化した。
そして今は、屋久島にいただいた生命力を絵に現して、それを世界中にお届けしたいという気持ちが膨らんでいる。

それは個展というカタチだったり、出版物というカタチだったり、
今までイラストレーターとして個展にせよ出版物にせよ数多くやって来たが、いままでのそれとはまったく違う気持ちの自分がいるのをはっきりと感じている。

屋久島の生命力はもの凄いが、それはここだけに在るものでは無く、どこにいても在るものだと言う事を自分の絵で証明してみたいとも思っている。
それが皆が必要としている「生きて行く力(生命力)」だから、それが全ての人に満ち満ちている事を思い出してもらえるような絵を描いて、それ(生命力)の本当の名前を思い出してもらいたいと思う、それが私の生涯の役割だと自覚した。

努力して到達するという暗示に掛かっている「幸せへの道」が、実は初めからそうだったという、初めから皆最高に幸せに居た、という魂の帰還を経て。

世間一般の常識的なものだけでな無く、スピリチュアルな常識も良く考えたら世間一般の常識と同じ図式に当てはめられている事が窮屈になって来たら、それは前触れの証です。

外からの価値観に振り回されるのはもうゴメンです、自分の芯にある自分自身をしっかりと掴んで、本当の場所に戻って行きましょう。
そこはあまりにも当たり前に見慣れた風景だと思いますが、「本当に」生きる場所だから。

明日からしばらく屋久島を離れ、ここにある生命力がどれほどのもんなのか?と違う街から感じてみたいと思います。
帰って来たら今まで描いた作品を大きなサイズに制作しなおす楽しい作業が始まります。

いつも見に来て下さってありがとうございます。
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春分より180°
太陽の周りを地球が半回転。
太陽が真東から登るポイントに目印をして、地球の大きさを感じたい日です。
朝日を太陽という光源だと認識すれば、地球がゆっくりと(実は秒速400m)で回転しているのを感じることが出来ます。
昨年も一昨年も秋分の朝日を立山で拝んでいました。
その時は屋久島に移住することになるなんてこれっぽっちも思っていなかった。
地球も私の人生も大きく回転したのです。
感謝!ありがとう。
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屋久島というと縄文杉や苔や深い原生の森というイメージを持たれていると思うが、私にとっても屋久島のもの凄い生命力は、身の回りの生活の場に充分すぎるほど溢れていて、わざわざ遠くまで出かけなくても、歩いていける範囲やせいぜい車で20分ほどの近所に絵のモチーフを見いだしている。

庭にあるごくありふれた樹や草が持つ何とも言えない活き活きとしたいのちたち。
今はそれらを描く事で毎日の創作は途切れない。

いずれ気分が変わったり、何か他の衝動が起きたら山深く入って行くのかも知れないと、それも楽しみにしている。
気分が変わった自分に対しての正直な行動の変化は自分自身をも困惑させるほど正直な性分なので、この先に何が起きても何も驚かず静かに順応していくのだと思っています。

観光としての屋久島では無く、生活の場にあるこの島の生命力は、実はどこに居ても溢れていると感じていて、大都会でもコンクリの建物の中でも、それを感じながら生きて行く事が出来るのだと最近は強く確信を持つ。

流行のものやカッコイイものだけでは無く、生命力を感じるものを生活の場に置く事で、どこにいてもいつであっても、すぐここに戻って来られる。
私はそういう絵を描きたいといつも思っています。
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屋久島町でも現在町議員選挙のまっただ中で、連日「よろしくお願いします」と「みなさんのために」の連呼でありました。
このところ「棒踊り」の稽古で地元の若い世代の方々に触れ、移住者である私のような者には見えなかった屋久島町を感じられて、また新たな視座を収穫したような気持ちでおります。

世の中に在る「善」というものを後ろ盾にした真っ当な理論を押しつけるだけでは無く、それぞれの立場から見える「生活と人生」を知るには、まず自分がそこに入っていかなければ何も知る事は出来ないという当たり前の事実を学ばせてもらっています。

「みなさんのために」と言うのは簡単ですが、それの支持者ばかりでは無く、反対する者たちであったり、自分たちを憎悪する立場の人たちも「みなさん」に含まれてこそ、次の世代が活き活きと暮らしていける自由な世界が広がっていくのだと感じました。

屋久島のように小さい社会では、お互いの顔や言動が見え安く、これまでの常識と共に違和感のあるものまでも受け入れて行くような器の大きさもあるように思います。
小さいからこそ変化が見え安く、順応能力も高いのかも知れません。

縄文人が渡来人を受け入れていったような歴史の再来が、明治維新のような大きな価値観の変換が、今の時代に起きている事を感じてわくわくしています。
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同じように見えて、滝を下りる水は毎瞬違う水だということに気づいていると
この一瞬というものが、果てしなく大きなものだと感じます。

キラキラと飛ぶしずくを私たちひとりひとりになぞらえて見ると
その違いも大した違いでは無いことにも気づかせてもらえます。

滝の勢いからはじかれて空中に飛び出たしずくは、すぐにまた滝と一体になって
川に合流して海に流れていきます。

大川之滝の滝壺から川に沿って海まで歩いて行くと、滝の勢いよりもさらに大きな水が地球を取り巻いているという壮大なドラマを感じます。

日常の細々したことに囚われて疲れているときは、さらに何かを考えるよりも
滝が教えてくれるこの真実を観に行くのが一番の薬になっています。
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自宅うらの公園にある岬に通っている。
ここは東西に海が広がり、この時期からは朝陽と夕陽が拝める。
台風の影響が届いているのか、いつもより大きく長い波が磯まで押し寄せている。


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紺碧の海原からうねりを持った波が岩にぶつかり砕け、白い空気を含んだサイダー色に変わり、それを長く引きずりながら次第に消えて行く様を見ていたら、どんとの「波」が頭の中を流れていた。
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波は汚れて黒くなってもいいのさ
この世が朽ちても終わりはしない

生きているなら何か話しておくれ
お前にはこの俺が見えないのかね

ずっと好きな歌だったが、今本当にこの歌の意味が分かったと思う。
どんとはどこに行ったのか?
今だったらどこに行ったのかを知っている。
どんとは「ここ」にずっといる。
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17日に天王星 衝
18日に土星  合
19日に新月
20日に彼岸の入り 水星内合
23日は180° 秋分 冥王星東矩

この一週間は太陽系(この世)の動きが活発です。
ターニングポイントになるようです。
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ひょんなことから「平内棒踊り」の奉納に加わらせていただくことになりました。
集落の伝統的な行事であり、島の男達の晴れ舞台でもあります。
軽く引き受けたその夜から連日の練習が始まりました。

え〜聞いてないよ〜  も後の祭り。

運動不足でだらけきった身体に喝!!を入れられたようなタイミングです。
初日の練習開始からすぐに筋肉痛で手足が動かなくなるほどのハードな動きです。
特に素振りが凄まじく、下半身がパンパンです。

屋久島に住むと決めた昨年の11月辺りに、まだ家も決まっていない私の脳裏には、屋久島の古い民家の庭先で棒を持って素振りしている凛々しい私の姿が浮かんでいました(笑)
それが現実のものとなったのです(大変だけど!)

覚えてしまえば簡単で合理的な動きの踊りなのに、それを頭で覚えようとしている段階の私は何度やっても間違えてしまって先輩達に苦労をかけてしまいます。
10月3日の十五夜のお披露目までには、それを潜在意識まで染み渡らせ、なんとか調和したひとりとして列に加わっていたいと願います。

とにかく、感謝感謝の屋久島です。
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