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昨日いっちゃんと話していて、前にはあんな事いってたとか、こう言ってたとか あっても

「いま」はこう みたいに人はどんどん変わって行くけど

本当は同じ事を別の角度から表現しているんだな。と感じる。

この瞬間も様々な人はいろいろな表現をしているけど、それは相対的に自分がどの位置から

どんな角度で「本当の自分」を表現しているかであって。

未熟だとか熟練というのも無いというのが分かった。

どんな道を歩いていても、自分の目に触れる 耳に入る 気になる ものごとは

すべてあなたに合わせたオーダーメイドの出来事であり

この宇宙の中で あなたをのみ対象にした 宇宙全部を巻き込んだ 壮大なドラマの一場面なんだ。

生きている瞬間瞬間を いま私は何をしているのか? を知っていれば

わたしたちはそのドラマの主演をしているだけじゃ無く 台本を書き 監督もしていた事に気づく。

宇宙を舞台にした 自作自演の壮大なドラマ。

出演者 スタッフは ひとり無限役。

それが私たちの「本当の名前」なんだ。





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「あなたはそのままでいい」という言葉は、たんなる気安めなのか?
もしくは「宇宙の神秘を解く鍵」なのか?

私たちが悩みをおぼえる時、それは何かが足りない、現状ではいけない、と感じる時に起こる。
いま「無い」ものが「欲しい」と感じた時に、それがなかなか手に入らないものだったら
悩みの深さも大きくなる。

しかし冷静なあなたの部分は、たとえそれが手に入っても一時的な安堵にしかならなくて
時が経てばまた他のものが「足りない」と思うあなたを見つけているだろう。

果てしない欲求の繰り返しの毎日が過ぎて行き、いつしか人生の与えられた時間も終わる。

そういう翻弄された人生の体験も又、ある意味では「それでいい」ものではあるが
他のものに乗っ取られた自分でいるよりは、この自分を本当に乗りこなしてみたいと思った時に、この「あなたはそのままでいい」という魔法の言葉が真の効き目を現すのだ。

あなたという存在は、この広い宇宙でもたったひとりの存在であり、あなたの存在を通してしか「あなたの見た宇宙」は存在しない事になってしまう。

それは無数にある宇宙のほんの「ひとつ」でしか無いかもしれないが、それがあるからこそ、他の宇宙が成り立っていられるという証でもある。

全体を支える一部は、そのまま「一部である全体」でもあるからだ。

それに気づいた時、いまのままのあなたの感性が、どれほど宇宙に取って貴重な尊い存在であったかが分かる。
あなたは宇宙にとって「かけがえのない人」なのだ。

移りゆく欲求があなたなのではなく、この宇宙を観察する「目」があなただと分かれば、たとえ病の淵に居ようが、借金で首が回らなかろうが、新しい恋にときめいていようが、それは「あなたの宇宙」が映し出している映画のスクリーンの中のストーリーでしか無く、本当のあなたには全く影響の無い事だと分かる。

本当の私たちは、人生など生きていないのだ。
それ観察しているのが、本当の私たちなのだ。

だから「そのまま」というのは、決して平坦な道を通ってたどり着く場所では無いのかも知れない。
私たちはもうすっかり「人生」という配役に成り切っているから。

しかし、悩みという最大のチャンスは、その巨大な概念を打ち破る最高の手段でもあるのだ。
あなたが独りっきりになって、この宇宙の中でもあなた独りだと感じて、空しくて寂しくてやり切れなくて、そんな気分に包まれている時に、もう一歩踏み出したら。

宇宙にはあなたしか居ない  という事が分かってくる。

あなたの宇宙もまた、一部である全体だからだ。

だから、悩みを避けようとするのでは無く、悩みを観察しよう。
なぜあなたがそれを足りないと思うのか、見つめよう。

そうすればいつか分かるはず、「あなたは全て必要なものを持っている」事が。
足りないとか欲しいという気持ちは、あなたが造り出したものでしか無く、実体のない幽霊のようなものだという事が。

だから「あなたはそのままでいい」

これ以上に最高な人生はありません。
お互いに讃え合いましょう!



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何か ひと もの こと に触れて新しい刺激を受けた時に

私の絵は変化していきます。

このブログをしばらく前から覗きにいらしていた方は

ある傾向がしばらく続いた後に、急に絵が変わる日があるのに気づくでしょう。。

自分では意識していない瞬間の変化ですが、

いつも変わって行くという事は変わらないようです。

毎日の制作でこころがけていることは

「いまが最高」

私が感じた宇宙の言葉を、最新のいろとかたちに替えて表現したいと思います。

少し時間が経って又以前のような表現に戻っていったり

でもそれは以前よりももっと深まったかたちになっていく。

そうしてすがたかたちを変えながら、おなじひとつのものを描いていったら。

どんなに長生きしても飽きる事はないでしょうね。

毎日絵を描く事が本当に楽しみなのです。

今日も見に来てくれてありがとう。
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平内の岳参りに参加してきました。

岳参りとは、屋久島に古くから残る行事で、ここ平内では旧暦の9月10日にその年の有志で参拝している。
地元の守り岳に海の水と農作物を捧げ、山から海に下る水の有り難さを讃え、おおいなる循環に感謝を捧げる一年に一回のならわしなのだ。
棒踊りに参加させていただいた縁で、今年は私も参加を誘っていただいた。

前日にガイドの友だちが「あの山は日帰り出来る屋久島の山の中で一番ハードだよ、下りは膝を痛めやすいから充分注意したほうが良いよ」とアドバイスしてくれていたおかげで、私の気持ちのキャパが広がっていたのか、行程をずっと楽しんでいる事が出来た。

それでも山の最初と頂上直前に最大の難所があり、途中も急な斜面を這いつくばって登るような難山。
下りは落ち葉で足を取られてほとんどの参加者がしりもちを突いた。

無事山頂にたどり着き、祠に平内集落の平安を祈願して任務終了。

山頂から拝む景色は格別で、おにぎりをほおばりながら屋久島の南景の雄大さを瞼に刻んだ。

登山では無く「参拝」なので、つかの間、すぐに苦労して登った斜面を下る。

ハサ岳はほとんど人の入らない山で、「原生の森」が色濃く残る。
低木の向こうに、樹齢1000年を超える巨木が姿を見せる。
その存在感は信心深くない人でも頭を垂れたるなるような荘厳さだった。

街に居ると「人間らしい」は誉言葉になるが、原生の森の中での「人間らしい」は逆の意味になる。
下り道で「何か人の気配が残ってるな」と感じたのは、何の事は無い、自分たちの通った足あとだった。
たったそれだけの事で、森の気配が変わってしまう。

森の恵みに感謝するという事は、その森に簡単には入らないという事も在るのだと感じる。

屋久島の山々は古くからそういった敬虔深さに守られて来たのだという。
人間の住む場所と、深い森の世界を分けていた。

最近は森の住人の鹿や猿たちも里に下りてくるようになったのは、人間が森に入るようになったからかも知れない。

それぞれの境界を守る壁を崩したのは、人間の方だ。
それをまた元の姿に戻せるのも人間の知恵だ。

この荘厳さが幾世代にも受け継がれる事を願ってやまない。

そういう岳がまだ残るこの場所に深い感謝が湧いて来る。
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今日は地元平内の「岳参り」に参加してきます。

平内集落の守り山「破沙岳」に入山、参拝して参ります。

少し寝坊してあせっているので(笑)

詳細はまた明日〜

では、いってまいります。
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今日はいっちゃん(妻)の誕生日だ。
そして私の本当の誕生記念日でもある。

いっちゃんとは数年前のイベントで出会い、その前後にミクシィを通して日常の思いを相互に伝えあうような、知り合いというか友達だった。

関係が変わったのは一昨年の秋。
私はその年の春に離婚し、それまでの仕事も何もかも精算して、ある農園に移り住んだ。
そこは正直さをモットーとしている、精神的な自給自足のコミュニティとして、社会的に強烈なメッセージを今も放っている場所だった。

その集団に入る事で、私は自分の人生の目的に一歩近づいたような、安心した気持ちになっていた。

ところが実際に生活を始めてみたら、自分が予想していたようなものとは違う事がはっきりと感じられた。

人は自分が選んだものは「自分にとって良いもの」だと思いたいので、しばらく馴染もうと努力したが馴染めず、たった三ヶ月でそこを出る事になる。

入る時が無一文のなで、出る時も無一文だった。

そのままだとホームレスまっしぐらなので、何とか宿舎食事付きの仕事を探し出した。

立山の山小屋の「管理」と呼ばれる肉体労働だった。

40半ばの運動不足の身体だから、息子ほどの若い人達と一緒に働くのは随分無理なことだった。

それでも何とか三ヶ月辛抱して、ようやく安アパートを借りられるお金が出来た。

その少し前からいっちゃんとはメールで近況を報告しあっていた。
いっちゃんはその間ずっと励ましてくれて、私はそのことだけを頼りに辛い仕事を淡々と乗り越えていた。

疲れきって骨と皮になり、プライドもズタズタになった私を、いっちゃんは暖かく迎えてくれて、一緒にアパートを探してくれた。

私が名古屋に住む事になったのは、いっちゃんがそこに居たからなのです。

(その時は試練だと思っていた農園と山小屋の生活は、今になってみれば「本当の自分」をあぶり出す、これしか無い!といった最高の機会だったことが分かる。 人生には無駄なものも偶然も無いという事が、本当に感じられる)

いっちゃんの献身的な介護のお陰で、だんだんと元気が戻って来て、すぐに私達は恋人同志となる。

それから半年も経った頃、かなり元の元気を取り戻していた私は、その元気をもっといろいろな可能性に試したくなったのだ。

ずいぶん身勝手な性格なので、いっちゃんと一緒にいる事がわずらわしくなって来たのだ。
いま思えば、なんて自分勝手な事!と思うが。

いっちゃんに別れを伝え、私はあらゆる可能性に向って、ギラギラとした眼を周囲に向け始めていた。

別れてもいっちゃんはそれまでと変わらず、私の事を第一に考え、御飯を作りに来てくれたり、私の生活の面倒を見てくれていた。

私は後ろめたい気持ちもあったが、自分の正直な気持ちを押さえる事は出来なくて、しばらくはそのまま不思議な関係を続けていた。

そんな私達に決定的な出来事が起こったのが、昨年の今日、いっちゃんの誕生日だったのだ。

その日は名古屋のトライバルアーツで「みのりの祭り」というイベントが開催されていて、私は似顔絵で出店していた。

とても寒い日で、雨も降っていて、野外の駐車場が会場だったから、私は行く前からどんよりとした気分だった。

それほど知り合いも居ないので、あまり話す人も居ない、寒くて雨だからお客さんも居ない、身体は冷える、お腹が減った。

とても沈んだ気分で居た、しばらくして仕事が終わったいっちゃんが来た。

私はそれは嬉しくなり、やっと助けが来た遭難者みたいに歓喜した。

その時だ、暗くなった外から店の中や店の外や、どこもかしこも、沢山の落ち葉や柿など、秋の実りがディスプレイされていて、きらきらと輝いているでは無いか!!

そんな事それまで気づかなかったのだ。

寒く縮こまった気持ちで居た私は、いっちゃんの顔を見た途端に世界がパっと開け、それまで「見えなかったもの」が見えたのだ!!

どこもかしこも「愛」の気持ちがこの空間を充満していたんだ。

それと同時に、いっちゃんが私にしていた態度や気持ち、愛がありありと見えたのだ「世界は愛で出来ている」という覚醒体験が押し寄せた。

その驚きは、深く弱っていた心身を一瞬で癒してくれたようなものだった。

いっちゃんは私にとってまさに天使であり、ずっと変わらぬ愛の眼差しで居てくれた事が走馬灯のように駆け巡る。

それはそれは幸せな気持ちに包まれ、私はそれからずっと笑っていた。

沢山の友達がその目撃者だ。

帰りの地下鉄の中で、私はいっちゃんにプロポーズする。

そしていっちゃんが次のビジョンに選んでいた屋久島移住に私も行く事を告げる。

事態は急展開して行く。

そういう流れで屋久島に一緒に住む事になったのであります。

いっちゃんとの関係はそれまでのどの関係と比べても充実している。

樹々や生き物や昆虫に潜む神秘を語り合って盛り上がったり。

人間関係の中にある大きな気づきを共感しあったり。

物事の奥に有る神性を感謝しあったり。

そんな充実した時間を一緒に過ごせて、しかもそれが妻なのだ!

妻であり親友であり最大の理解者なのだ!!

同じ事を見ても少し角度が異なるので、ものごとをより立体的に見る事が出来る。

ふくろうが頭を動かしながら、左右の眼を交互に使いものを見るような感覚で居る事が出来る。

これは奇蹟としか言い様が無い。

いつも素直で感謝のこころで居るいっちゃんとの出会いは、私の人生が最高に輝いている事の最高の証明だ。

いっちゃんの誕生日に愛を知った私は、この日が本当の私の誕生日だと感じている。

そこから生まれ変わり、第二の人生がスタートしたのだ。

だから今日はふたりの誕生日です。

誕生日おめでとう。

共に身体の朽ちるまで、最高な「いまここ」を楽しもうね。

いつもありがとう。

愛をこめて。。。

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引きこもって絵を描いている生活が長く続き、最近はほとんど外出しない。
別に世の中との接触を断っているというつもりも無く、ただ単純にそれが一番したいのだ。

絵を描き自然の背後に在る「おおいなる存在」を感じ、それを妻と話す事で私は私の人生が完全に満たされているのを感じている。

寂しいとかつまらないとかは全く思わず、酒を飲んで晴らすウサも無いので、外に遊びに行く事もめっきり無くなった。

ウチに訪ねて来てくれる友人は、基本的にそういう空気を読み、玄関に入る前にチューニングをし直して入って来てくれるようで、あまり気にもしなかったが、久しぶりに外出していろんな人に会うと、そうでは無い空気が在った事を思い出した。

みな「不安と心配」をベースにしたマトリックス(幻想世界)に浸っているように見えた。
それでも別に不満を言い合ったり互いに攻撃し合っている訳でも無いが、それこそ「空気を読む」とう感覚器官が私にそれを教えてくれる。

空気を読む、、という言い方は誰でも良く使う表現になってきたが、これこそテレパシーの事であり、その場の気配を読み取ることは誰でもしている。

子供や生き物はテレパシーの達人であり、鈍くなった大人でもかなりの情報を読み取っている。
みんな超能力者だったのだ。

不安も心配もみな思考という自我が作り出したものであり、本来は存在しない概念だと思う。
昨日までの事を思い煩っても仕方ないし、明日からの事を心配しても明日にならなければ分からないし、心配だったらそれを回避出来る知恵を絞った方が得策だ。

それは心配や不安とは別のもので、ゲームの難問を切り抜けるアイディアをあれこれワクワクしながら練るような行為で、とても楽しい事なのだ。

私たちには「いま」しか無く、あそこやあっちも無く「ここ」しか無い。

そう思える事で、幾分かは不安も心配も小さくなり、愛をベースにした本来の世界が見えてくるのだ。

しかし私には確信があり、みんなそういう「本来の自分では無い経験」をする事で、「本来の自分」に戻る過程を歩いているのだ。

そういった意味では私は安心していて、誰がどう言おうとまったく大丈夫だと思っている。

愛をベースにした世界は、いま見えている世界と見かけは何も変わりがないが、不安も心配も入る隙間が無いのだから、ゆっくりゆっくりと変わって行くだろう。

私たちのひ孫の時代になった時、地球はどんなに素晴らしい星に生まれ変わっているのか。
それを考えるとしあわせな気持ちに包まれて、いまここに居ることを感謝したくなる。
しかもそれは既に始まっているのだ。

祈りも願いも必要無く、初めから感謝のある世界へ。。。




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本のしおりに使っていたポストカードを妻が見て「へ〜昔はこんな画風だったんだ〜」と言った。
それはフリーのイラストレーターとして出発した28歳当時に描いていた絵だった。

そんな風に言われて見直して見ると、その当時の気持ちがありありと甦る。
ちなみに。。こんな絵です。
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当時はフリーになったばかりで東京から静岡に引っ越すという、ある意味「無謀」な試みをしていた時期であり、今こそ珍しくは無くなったが「地方発の作家」として売り出していた。

しかし運命というのは分からないもので、これらの作品を携え、青山のピンポイントギャリーで個展をやったところ大反響をいただき、仕事には困らなくなっていた。

大きな銀行のポスターを何枚も依頼されたり、大手の自動車会社のカレンダーに採用されるという、イラストレーターにとっては花形の道を歩いていた。

しかし、私のこころはそんな反響にいつも疑問を持っていたのだ。

「本当の絵が描きたい」

卓上で資料を見ながら、依頼された世界を描く事が苦痛になっていったのだ。

それははっきり言えば、イラストレーターという職業に向いていない。という事であり、クライアントの要望に応えるのがイラスタレーターというアーティストの役割であり、その他の現代アートのような「よくわからないもの」を次々に発表しながら、食いぶちは他に委ねる人たちのようなガチンコの生き方の方が自分には合っている、と当時の自分は考えていた。

本当の絵、、、とは、私にとってだが「思考ではなく衝撃から生まれるもの」という感覚があり、いくらお金になろうが、いくら有名になろうが、それがなんなのさ!
という、いま思えば慢心の中に居たのだと思う。

それから何度も個展を開催したが、どんどん変わるスタイルを見て業界の人が「前のスタイルでやったほうが商売になるのに」と有り難い助言をしてくれたが気にもせず、

だんだんとメインステージからは遠のいていったが、それなりに感性の合う仕事はずっと続いていた。
若くして売れてしまったものの共通の悩みというものを私は理解している。
お笑いの一発屋やデビュー曲が売れてしまったアイドルみたいな複雑な気持ち。

それでも絵を描く事は諦めず、いずれは自分が本当に描きたい絵を描きたい!と思っていた。

屋久島に移住するのもその願いが近づいたという直感によるものだった。
本物の生命の内側に入って本物の生命を描きたい。
とにかくやってみたかったのだ。

芸術はホントに好きずきで、前のほうが良かったと言ってくださる方の気持ちも今は分かる。
私もこの駆け出しの頃の絵をひさしぶりに見て、何も変わっていない私のこころを感じる。
思えば私は子供の頃から少しも変わっていないのだ。

子供の頃の強烈な思いは「自分が大人になったら世界中の子供たちに希望を与えられる」という確信だった。
周りの大人たちは皆不正直で、いつも子供の気持ちを踏みにじっている。
自分が大人になったらそういう大人にはならないので、子供たちに明日の希望を感じてもらえる。
そんな事を考えながら絵を描いていた。

そのまま46歳です!

これからが本当の私の仕事が始まると感じている。
私が衝撃を受けた「生命力」を世界中の人たちに見てもらう機会がやって来る。

これは私の野望では無く「そうなっていた」位の当たり前の流れであり、私の根拠のないような確信が不思議な事に人々のこころの奥底に在る「生命力」に点火し出す前触れです。

実は誰でもそういうメッセージを持って生まれて来た事を私は知っていて、その人がその気を出したら天地がひっくり返るようなものを、全ての人が初めから持っているのを知っているのです。

だから、わたしたちは、みな個人として在るのです。
ひとつのものを現しながら。


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先日、屋久島の郷土文化の歴史を展示している資料館に行った。
物資の少ない屋久島では、つい最近まで島民は自給自足のような生活をしていて
道具も食料も買うのではなく作るというのが当たり前の社会だったようだ。
「自給自足」の生活は、いま多くの人の憧れだが、その時代にはそれしか選択肢が無かったのだ。

私の友だちでも、電気はあるけど風呂は薪風呂という家庭が数軒あり、電気すら無いという家も
ある。

風呂に使う薪を集めるのが一仕事で、海や山に拾いに行き、割り、火を起こし、家族でお湯を分け合い、その有り難さを毎度味わうような生活は、都会では想像もつかないような豊かな時間だ。

私の家は電気もガスもインターネットも通っていて(まだ開通していない地域もある)家のすぐ側に温泉もある、屋久島では超贅沢な環境にある。

ちょっと昔の自給自足の島人たちは、服から道具から食料からすべて自分たちで作る必要があったから、たぶん寝ている時間以外は子供も含めてずっと手を動かしていたのだろう。
いつも仕事があり、次から次へとやる事がある。

それが良いとか悪いとかの基準では無く、その時代はそれが当たり前だった事を思えば、現代はいかに「時間」にゆとりがあるのだろうと感じる。

田畑をするのでも、薪で風呂を湧かすのでも、それを「義務」では無く「楽しみ」としても出来るような時代になったのだ。

時間のゆとりは心の余裕につながり、本を読んだり友だちと話したり、昔では考えられないほどの情報や知識を持てるようになったのだ。

それと同時に、便利を追究する事が、自分たちを含めた自然環境に取り返しがつかない打撃を与えているというのも分かって来たし、社会を挙げて「環境」を考えられる世の中になって来た。

いいぞいいぞ!もうすぐだぞ!!

世界を悲観的に見る見方もあるが、着実に人類は進歩しているという視点もある。

極端を極端に見ないで、両方を眺めつつ、ゆっくりと変化して行く流れに任せながら。
その中で自分がどんな自分で居たいのか?を持ちながら。

心の余裕がこころの時代を創って行くのだ。
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3時過ぎに目が覚めたので、あぁそろそろ朝風呂が入れる時期だぞ!と海中温泉に向かった。
満月や新月が過ぎて3~4日経てば、干潮は朝に向かってずれてくるから。
そういうリズムを感じる器官が自然に身体に備わって来たようだ。

こんな真夜中(超早朝)なのに、湯船には10名位の先客が居た!
オリオン座流星群を観るためだ!!

昨日は久しぶりに一日中雨が降っていたが、何時からだろうか、空はすっきりと晴れ渡り
天の川まではっきりと見える。

南上方に美しく輝くオリオンの左付近から流星が放射状に軌跡を描いていた。
流れ星がきらめくたびに皆は「あ〜」とため息みたいな声を上げる。

ゆっくりとゆっくりと動く星々の中に鳥のように急に動く光を見ると
なんだかそれだけで幸せな気持ちになるのは皆の共通の意識。

流れ星を数える度に幸せは頂点に達し、ここに居る知らないもの同士が同志のような連帯感を持つ。
宇宙は平和だな〜って、じわ〜んとこみ上げる。
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