<   2010年 10月 ( 19 )   > この月の画像一覧







f0179615_6494835.jpg








まず、はじめに取りかかるのは「私は何者?」という問いです。

答えは簡単です「私は生命です」が答えです。

ですから、私たちが「何事にも先に」まず取りかかる事は

「生命とはなにか?」という探求に他ありません。

本来の学校に置いては、各教科の中に「生命」の理解に繋がる知恵を取り入れます。

ですから、児童は自動的に「生命」を理解しながら成長するのです。

現在の社会に置いては、この「大前提」が欠如している為の「混乱」が必須の経験になってしまっています。

ただしこの「生命」の理解無くして

どんなに精神的な事を学んでも、霊的な理解を得ても、イニシエーションで超意識に触れても、何もなかったのと同じです。

なぜなら「生命」こそが、全宇宙の「元の鋳型」だからです。

元の鋳型に編み込む糸が「人生の数々のいろとかたち」です。

鋳型が無い(存在を確認していない)のに、どうやって糸を織り上げますか?

逆に言えば

「生命」に触れ、実感のある者にとっては、それだけで人生は天国に在ります。

何も知らなくても、何も学ばなくても、その者にとって人生は我が家です。

私たちは今やっと、長い長い人類の歴史の中で「初めての理解」を得ようとしています。

それが「生命」です。

科学や哲学が探し求めた最後の1ピースがハマろうとしています。

「生命」の理解が深まるに連れて、現存の社会的問題は次々に解決されて行きます。

まるで、何故今までこんな簡単な事を思いつかなかったんだろう?と感じる様に、子供でも簡単に大きな問題を解いて行きます。

まるで、始めから問題など無かったかのように。

「生命」を見つめるのは「正直」の実践に他ありません。

正直に「生命」を見つめる先に、「宇宙の鋳型」がクリアに見えて来ます。

一度見つかった鋳型は、もうどこにも行かないのです。

なぜならそれは、ずっとそこに在ったものだから。

大きな丸が完成します。
[PR]





f0179615_758676.jpg







正直を進めて行くと、自由という壁が立ちはだかります。

自由の壁を越えるのは、「正直の道」に入る時よりも抵抗を感じます。

なぜなら「自由の壁」を突破する時に「他者の眼」が立ちはだかるからです。

他者の眼を突破する極意はただひとつ「受容」のみです。

他者が私をどう思おうと、どう感じようと、勝手である。

これが腹の底から自分の意識に重なった時に

やっと「自由」の入り口に立ちます。

他者がどう思おうと、どう感じようと 自由である。

他者に無限の自由を与えた時に

あなたは自ら自由をあなた自身に与えるのです。
[PR]




f0179615_1522655.jpg









f0179615_15225381.jpg










f0179615_15254922.jpg










f0179615_15241587.jpg












f0179615_15264137.jpg











f0179615_15272160.jpg












f0179615_15283330.jpg












f0179615_1528099.jpg













f0179615_1529580.jpg








今日は暑い半袖の日。
[PR]






f0179615_611273.jpg







屋久島もこのところ急に秋が深まり

冬の準備に入ったような気配がしています。

かなり早朝に起きるボクは、

月齢が合えばそのまま海中温泉に温もりに行きます。

そうでなければ、ストーブのオレンジ色の火をそろそろ引っ張り出さなくては

ってカンジに思った朝です。

ヤカンを乗せてカンカンするのを聞きながら、朝になるのを待つのも楽しい

って訳です。

冬は暗闇が長くて、灯りを楽しめる季節ですね。

ウチではストーブは暖房と同時に

照明って訳です。






f0179615_6122131.jpg

[PR]





f0179615_614030.jpg








ボクが若い頃からしている取って置きの「しあわせ」をひとつ。

どこかに旅をして、グッと来る景色があったら、その場所に自分の分身を置いて来ます。

分身と言っても、モノじゃなくて気配です。

そうしてひとつひとつ自分の分身が世界に増えて行って、ボクはどこに居ても

美しい景色を感じていられるのです。

これは、ある渡り鳥(白鳥)を見ている時に思いついた事でした。

この鳥は、ボクの見た事の無い、空からの景色や、知らない土地の景色を知っている。

その鳥を感じていると、ボクは知らないものまで自分のものだという感覚になったのです。

本当に眼で見えるとか、そういう事はあまり関係がありません。

イメージできる。 想像できる。

これって、よくよく考えたら素晴らしい事なんですよね。

だって「知っている事しか思い出せ(イメージ)ない」からです。
[PR]





f0179615_4454846.jpg









私たちは「生命」とか「愛」とか、日常会話で良く使いますが

じゃぁ「生命って何?」「愛って何?」という事をあまり深く考える事はしていません。

それを見つめるのを、ボクは「正直」と呼んでいます。

ですから、ボクが「正直」って言っても、今まで言葉の使い方では無いのです。

もっと深くて優しいのです。

でも、ちょっと厳しい面もあります。

正直を見つめると、自分の「まやかし」が見えて来るからです。

でも、そこが「正直」の素晴らしい効果なんです。

人は、他人に何か言われたら素直になれなくても

自分自身で気づいた事は無視したりごまかしたり出来ません。

そしてだんだんと、わたしたちは自分をもっと正直にして行くんです。

もうひとつヒントを。

正直って言ったって「善人」とか「聖人」とかじゃないですよ。

正直っていうのは、もっともっと 深くて広くて大きいんです。

すばらしいんです。

そしてなにより 自由なのです。

宇宙が自由だと同じ様にね。
[PR]





f0179615_1215406.jpg







ひょえ〜〜

台風14号がこっち来ます。

やっべぇ〜
[PR]






f0179615_6261597.jpg







今回の個展では、ちょっと新しい事にチャレンジしようと思っています。

「わたしの絵を描いて」っていう方がいたら

じ〜っくり時間を掛けて向き合って

その人の表面だけじゃない、その人の「かお」を描いてみたいと思っています。

もちろん、ギャラリーでその場で描きます。

絵の具が乾くまで少しカフェでお茶でも飲みながら待っていてもらえたら

その絵をお持ち帰りしていただけます。

だから待ち時間が少ない様に

あらかじめいらっしゃる時間をお聞きしておきます。

個展は二週間ありますから、

それぞれちょうどいい時間が取れると思います。

写真やデータでは無理な

直に向き合っての真剣勝負(笑)

今回の個展は「絵を見せる」だけじゃ無くって

「場を創る」っていうのがテーマです。
[PR]







f0179615_5404392.jpg








熟成、醗酵、全ては過程。

決まったものなど無く、全ては移り変わる。

そう思っていれば

心が定まります。
[PR]






f0179615_5575619.jpg








どこにも特別な場所は無く

約束された日時も無く

尊い人も 卑しい人も無く

善い人も 悪い人も居ない

そして特別な人も居ない

それが本当に見えた時に

私が何を話しているのかが分かるだろう



特別な土地は無く

特別な民族も居ない

高貴な人や 下衆も居ない

正義も悪も無い

愛も無く 愛で無いものも無い

それが本当に分かった時に

私が何を話しているのかが分かるだろう



表面の違いばかり見つける眼には

生命の灯が歪んで映る

生命は分けられない

名を付け名を呼ぶ事さえ出来ない

男も女も 老いも若いも無い

過去も未来も無く

他人もあそこも無い

ただ「私」だけになった時に

私が何を話しているのかが分かるだろう
[PR]