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引っ越して来た家の目の前は「多摩川サイクリングロード(通称タマサイ)」と呼ばれる

自転車乗りのメッカのような道が東西に伸びています。

早朝から夜遅くまで、ロードレーサーと呼ばれるハンドルが前に大きく曲がった自転車が走っています。

これは自転車の機能を最大限に表現したデザインで、ママチャリの操縦姿勢は道路に垂直なのに比べ、ロードレーサーは体軸が平行になっています。

視界、スピード、機能性、の別次元を感じる違うこのスタイルに一度乗ってみると、自転車という乗り物の幅の広さが分かります。
とにかく何もかも違うのです。

これはアハ体験のような覚醒体験でもあり、地上を走行する人力の道具の中では、人間の限界の速度まで行く事が出来るのです。

ただしこのロードレーサーを町中で乗りこなすにはそれ相応の運動神経と判断力が必要で、混雑した繁華街で見かける事はそれほど多くは無いのですが、このタマサイでは約7割がロードレーサーだと言っても大げさじゃない位、ここでは普通の自転車なのです!!

と、前置きが長いですが(笑)

「意識の変容」もこれと同じようなものだと思っています。

ふとした瞬間に、今まで見ていたものと全く別の見方が始まる事が「アハ体験」です。

それを「覚醒意識に入る」とも呼びます。

一度この見え方を知ってしまうと、それ以降は何を見ても幾通りもの見え方に変わってしまいます。

頭で切り替えるのではなく、そうしか見えなくなってしまうのです。

それを従来の表現や言語で説明しようとすればするほど、本来の「体験」からほど遠くなってしまいます。

それは私たちが慣れ親しんでいる「表現」や「言語」が、「それ」を知らない所で作られたからだと思います。

水中でしか生きる事が出来ない生物が、空中の事を「水中での常識」で語る事が不可能なように、その体験や話を聞くよりも(むしろそれはさらなる混乱の原因なのですが)自分で体験する以外にはありません。

乗ったら分かる!!

踊ったら、歌ったら、描いたら、、、、、分かる!

聞いたり学んだりするよりも、一歩踏み出して行動する。

そしてそれは(ここ肝心)どこかにあるのでは無く、日常の普段の生活の中にしか見つかりません。

家族や職場、普通のあなたの生活。

それを「大事にしなくてはイケナイ」では無く、もう一度じっくり見つめてみましょう。

嫌でも好きでもどうでもいいのです。

それを素直に正直に感じ出したら、他人の目や世間の常識と全く違う「あなたの本意」が表れませんか?

それです!それに乗ってみましょう!!

それがロードレーサーなのです。

あなたはそのままで、こんなにもの凄い機能を持っていたんです。

ひゃ〜〜〜!


つづく。。。
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東京都府中市に移りました。

府中と言っても、多摩川が流れる橋を渡れば多摩市(聖蹟桜ヶ丘)になります。

南東向きのマンションの4階の角部屋で、太陽が一日中当ります。

屋久島の家は台風を考慮した作りで、樹々に囲まれていて暗く、日中でも電灯が要りましたが、

ここは奥の部屋まで日光が溢れています。

この変化は身体や精神にも大きく影響を与えているようで、いっちゃんもボクもやたらと陽気です(笑)

引っ越しの片付けやレイアウトを、果てしなく続けて気がつくと夜になっています。

車の無い生活は良く歩く生活です。

なまった足腰が少々悲鳴を上げています。

今日は風が強く、もしかしたら春一番なんじゃないかと思います。

ベランダの先の多摩川の河川敷では、園児や自転車や犬が思い切り駆け回って遊んでいて、

それを眺めるのがとても嬉しいです。

ボクは20年ぶりに都民になりました。

20年前に東京を離れる時は「出来るだけ自然な生き方をしたい」という思いで静岡に移りました。

いま又戻って来て思うのは「自然は外じゃ無く内に在る」という感覚です。

それを教えてくれたのは屋久島の生活でした。

陰極から陽極へ。。。


「どっちが?」では無く、それぞれのバランスを自ら舵取り出来る様になりました。

これは住まいや環境だけでは無く、人やモノや事や経験や、多くの事柄に当てはまりそうです。

新生活がスタートしました。


でも、ベランダから見えるオリオンや月を見ていたら、

屋久島の庭で見ていたオリオンや月と同じでした。

これはこの星のどこから眺めても同じでしょう。

水平線はいつも目の高さにあり、人は呼吸し鼓動を打っています。

「同じもの」をしっかりと見つめているとこが「今・ここ」に居る事を見逃さない事でもありますね。

細々とした人生の紆余曲折を楽しみながら、何も変わらない自分を確かにしている。

そういう生活をします。


しばらく落ち着くまで時間が掛かると思いますが、

春分あたりから自宅で「かおの絵」を描いて行こうと思っています。

是非ウチにいらして下さい。

申し込みや予約の詳細は追って、このブログで書いて行きます。

もう方々から「個展」の打診があります。

いろんな所に訪ねて行って、皆さんにお会いしたいと思います。

とても、とても楽しみです。


いつもいらして下さってありがとう!


これからもどうぞよろしくね〜♬




2月25日

マシマタケシ
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屋久島を離れる日がやって来ました。

明日引っ越し屋さんが来て、この家ががら〜んとしてしまいます。

東京の部屋に荷物が運び込まれるのは23日です。

家財は海を超えて、陸路を運ばれますから、それだけ日数が掛ってしまうんです。

屋久島は本当に遠い場所なんだと、改めて思います。



ここ数日、沢山の人が会いに来てくれたり、送別会を開いてくれたり

本当にうれしい出会いがありました。

離れ際は、時間がゆっくりと流れて、お互いに丁寧に相手を確かめるものですね。

その中で、本当の出会いを沢山感じました。

一度本当に出会ってしまったら、もう二度と離れる事が出来ないのです。

再会までどんなに時間が過ぎようとも、もう二度と再会しなくても

「出会った」ことが色あせたりはしないと思いました。

人と人が「出会う」というのは、こういう事なんだなって、

一緒に居た時間が長かろうが短かろうが、そんなのは関係が無く

「生命」で出会うと言う事が、時間や場所なんて簡単に超えてしまうものですね。



屋久島に住んだ1年11月、短いようで中身のぎっしりと詰まった時間でした。

ボクの人生で、これほどの経験はそんなに無いんじゃないかと感じています。

軽々しく「ありがとう」なんて言えない位、この重みを感じます。

本当に、本当に、ありがとうございました。

とてもとても、ありがとう!




お世話になった多くの方々に直接会えない事が心残りです。

毎日買い物に行くスーパーのおばちゃん。

道ですれ違うだけのおじさん。

学校に登校する子供たちや、近所の犬たち。

みんな個性的な「かお」をしていて、

その「かお」がそのまま屋久島の「かお」だと感じています。

みなさん、ありがとうございました。



明日引っ越しが終わったら家の掃除をして

翌日の午後のトッピーで屋久島を離れます。

日曜日の「手作り市」に顔を出します。

そこにはたくさんの友達がお店を出しているので

みんなにお別れを言いに行きますね。


パソコンを梱包するので、ブログの再開は引っ越しが落ち着いた頃になります。

これからもよろしく!!

ありがとうございました。



平成23年 2月18日(満月)


マシマタケシ
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屋久島を離れるカウントダウンが始まりました。

荷物の梱包も順調に行ってます。

持って行くモノをひとつひとつ確かめながら、きれいに拭いて段ボールの箱に入れて行きます。

つくづく、引っ越しって「人生の縮図」だなぁ〜って思ってます。

自分の「モチモノ」を確かめながら、確認しながら進んで行きます。

こうして「モノ」を大切に扱う習慣を、引っ越しが終わってからも持続したいと話しています。

ボクは屋久島に来る前の名古屋に移った時はほとんど何も持っていませんでした。

布団も無くて、ミクシィで呼びかけて、友達に寄付してもらったりしていました。

ここを移る今、けっこう意外に多くの「モノ」を持っています。

それは「モノ」だけじゃ無く、多くの「ココロ」もです。

この二年間が、その期間の数十倍の重さを持っている事を感じています。

この数日、屋久島で過ごす時間は本当に貴重で素晴らしいものです。

屋久島が途方も無い大きなものを与えてくれました。

この感謝は、これからのボクの生き様でお返しするしかありません。

本当にありがとうございました。




しばらく前にいっちゃんと「正直の反対語って何かね?」なんて話しました。

あまり思いつかず「不正直かな?」「嘘かな?」「八百長かな?」なんて巡らせながら

結局「正直」の反対は無いという結論に達しました。

表裏がないのが「正直」なんですよね。

現在、リークとか八百長とか、世間では正義感や善意識で悪を暴くような傾向がありますが

それは決して「正直」の行為では無く、一種の審判です。

善悪や損得を決めて、その弱者に「今までの恨みを晴らす」ような意識で臨むのは

あまり「正直」とは言えないように思います。

世の中には「ダメな八百長」と「許される八百長」があって、その時代の評価の浮き沈みで

いろいろな審判や判断が行われていると感じます。

それは「世間」でも「個人」でも、その人のかけているフィルターの色が決めている事です。

究極に言えば、この世界は全て八百長で成り立っていて、たまに「正直」に出会うと感動する位のもののように思います。

同じ穴のムジナ。
目くそが鼻くそを笑う。

どんなに人気があっても、人の知らない知識を沢山持っていても、正直かどうかは計れません。

正直とは「ありのまま」と言い換える事も出来、その「人物」の側面や後ろ姿を通して

「かお」に表れるものだと感じています。

な〜んて事を思考しながら、モチモノを保護紙に巻いて段ボールに詰めています。

引っ越しは大変に良い機会です。

部屋の模様替えもね!

そうして、ひとつひとつ丁寧に、慈しみながら、自分のモチモノを見つめて行く。

いつでも、どこに居ても

いま直ぐに、「ありのまま」の自分を見つめるチャンスなんですね〜
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この冬一番の寒波がゆるみ、小雨の降る屋久島です。

今朝は引っ越しで出た大量のゴミを県道にあるゴミの集積場に車に乗っけて運びました。

車から何度も往復していると、ボクの後ろに一台の車が止まりました。

近所にすむYさんの車でした。

Yさんは半年位前に近所に越して来て、海中温泉で会ったり、道で立ち話をする位で

それほど深い交流は無かったけど、彼女の真直ぐな目を見ていて、正直な人なんだなぁ〜と感じていました。

ボクたちの引っ越しが急に決まってから、少しお話する機会がありました。

若い頃には世間の平均的な価値観で生きていたYさんは、ある事がきっかけになり

「生命」に付いて深く見つめるようになったそうです。

その先で自分の師と思えるような、深く「生命」を見つめて生きている人に出会い

それまでの生活を変えて、今では「生命の声」にしたがって生きる様になったそうです。

謙虚で優しい雰囲気が香る素敵な女性です。

ボクの本の噂を聞いて、ちょっと読んでみたいから貸して欲しいと言って家を訪ねて来ました。

数日読んでみて「これ買わせてもらえますか?」と言いに来てくれました。

「この本を読んで、屋久島に来て良かったって心底思えたんです」と言ってくれました。



今朝、ゴミの集積場で会った時に彼女はこう言いました。

「ねぇマシマシ、私『正直』って事に『?』になってしまったんです」

ボクは「そうですか、素晴らしいですね!見つめて下さい。また会おうね」

と言って、握手してハグして分かれました。

家に向かう車の中で、ボクはとても感激して、歓びいさんでこの記事を書いています。

素晴らしい出会いでした。

Yさんはさらに深い「自分の正直」に突入したのです。

こんな出会いがあるから、生きていて素晴らしいと思った朝でした。


真理とか、愛とか、正直とか、そういうものを知る為に

本を読んだり、人に聞いたりを繰り返している内は、

誰も「それ」にかすりもしないように思います。

自分自身を見つめ出したその時から

人はそれに気づくのだと思います。


格言や名言を集めておぼえるのも、

誰がこう言ったとかああ言ってたと話すのも

ほどほどにしといて


自分が経験した、自分が感じた言葉で

話し出した時に

真理や愛や正直は

あなた自身に重なるのですね。
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今日は意味のない記事です(笑)

2011年2月11日は面白い日だった。

前の晩に急に、唐突に、ボクといっちゃんに「音楽最高」が訪れる。

11日は電話が沢山かかって来た。

それぞれは別の、それぞれの用件だったけど、凄いときなんて、家にある電話三台(家電、携帯ふたつ)が時間差で鳴り出した。

たくさん人が訪ねて来た。

全員お土産に(食べ物、それも甘いものが多い)を持って来てくれた。

ムバラク大統領が辞任した。

日本列島に大雪が降った。

午後から屋久島には台風並みの大風がやってきた。



そんな普通の当たり前の面白い日だった。

引っ越しの荷造りが進みすぎて(笑)

まだ使いたいモノまで段ボール箱に入れてガムテープで封印してしまっています。

この家のモノが片付いて行く様子を見ていて、段々生活の気配が無くなるのを見ていて、

普段「当たり前の毎日」だと思っている感覚が、とてもはかなく、微妙なバランスの上に成り立っているのが分かります。

あぁ!引っ越しは人生の舞台裏が覗ける機会。

ボクもいっちゃんもいままでかなりの引っ越し経験を積んだ『マニア』ですが(笑)

この引っ越しの面白さは格別です!!
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ずいぶんと陽が伸びて、6時になろうとしているのに、まだ外は明るいのです。

陽が落ちると急に気温は下がりますが、屋久島は陽が出れば春の陽気になりました。

気温が上がると一番最初に上がるのは犬たちで、放し飼いが多い(ホントはダメなんだけど)
屋久島の犬たちは、にっこにこの笑顔で道をスキップしています。

樹々や下草も、気がつけば新しい葉を伸ばし始めていました。

もちもん人間もその恩恵に預からない訳がありません。

やたらとアクビを放ち、冬の寒さに縮こまった筋肉がほぐれているのを感じます。

寒い時期は修行のように思ったストレッチが、温かい六畳間でね転びながら
スジが深く長く伸びて行きます。

明るくなった外を見入る自分にふと気がつきます。

春はいいものですね。

引っ越しの準備で、押し入れにしまい込んだ数々のものたちをほじくり出していますが

「これはいったい何?」

「誰のもの?」

みたいに、所在の全く分からないものが沢山出て来ました。

ゆっくり考えたら記憶の角にちょこんと残っていますが、

それだけのものならばこの機会にお別れしても良いかなと

ボクはどんどんゴミ袋に入れて行きます
これは性格なんですね。

性格というのは、持って産まれたものだと思いがちですが、

それよりも「どうしたいか?」というその時その時の姿勢のようなものだと思います。

だから変わるし変えられるものだと思います。

性質はそんなに変わらないと思います。

それでもゆっくりと変化して、やっぱり変わるものです。

人は変わらないようで変わり、変わるようで変わらないのではないでしょうか。

変わるところにじっくりと向き合う事。

それが「正直」だと思います。

「正直」というと「善い人」に向かうことだと思いがちですが、

そんなことじゃ無く、むしろ自分の持って産まれた「変わらないもの」を認めることでもあります。

ダメで、いい加減で、嘘つきで、意気地なしで、小心者で、ええかっこしいで、

そんな自分を丸ごと「よし!」と観るのが正直だと思います。

でも「人は変わります」

ダメな自分が気持ちよく無かったら、嘘をつきたく無かったら

いつでもどんどん変わって行けるのだと思っています。

そんな事を、季節の移り変わりの太陽を見ながら感じていました。

引っ越しまで後10日。

この素晴らしい屋久島を満喫します。
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引っ越しの様々な手配が終わったので、あと二週間はひとつひとつ屋久島を噛み締める時間に使って行こうと思っています。

一昨日の大川の滝もそうだったけど、目にする多くのものが、とても新鮮に映ります。

春田浜で昼寝をして、水面を舞う波を見つめていたら、ずっと気づかなかったものが又見え出しました。

凪の水面に微風が模様を作り出すと、陽が編み目を描き、透けて見える砂にいろんな色を浮かべます。

少し見る角度を鋭角にすると、水がとろとろになって沢山のひだが表れます。

同じものを観ても幾通りにも見る事が出来るから、ボクはここに座って何時間でも楽しんでいられると思いました。

節分を過ぎて急に春めいたから、少し風があっても野外にいるのが気持ち良い。

それまでの太陽はひりひりする感触でしたが、今日の太陽は暖炉のように優しい肌触りでした。

そういう「違い」を丁寧に愛する様に感じている自分を観たら、屋久島に来た当時の事がありありと蘇って来ました。

渡り鳥が新しい大地に降り立つ時、飛び立つとき、細心の注意を払っているような感覚です。

ボクは屋久島に来て、自然達とのこういうつき合い方を学んだので、今ではどんな場所へ行っても、たとえそこがビルの中でも、目にするもの、耳に入るもの、触れるもの全部を「創造物」と思う様になりました。

自然が作ろうが人間が作ろうが、同じ宇宙の奇跡が働いていなければそこには無いでしょう。

そんな事を感じていました。

大川の滝でいっちゃんと同時に包まれたぽめろん。

それまでボクは「ひとり」で居る時にしかそれに包まれた事はありませんでした。

その前後に誰か居ても、その時には不思議に誰も居ないというのが決まりだったんです。

でも今回はいっちゃんとふたりで、まったく同じものを観ていたのです。

この感覚をボクは「個人の内面で起きた事」かも知れないと感じていたんですが、今回の事件(笑)によって、複数人で同時に共有できるのだと知りました。

「全部自分で、だから自分が消滅する」という感覚の中に居る他人は、その意識の中に置いては「他人」では無く、風景のようなものになります。

滝を見つめるいっちゃんを観た時に、ボクはとても美しいと感じていました。

その美しさは、個人的な感覚を離れ、森で鹿に会った時のような神聖さを持ちます。

いっちゃんがひとつの生命としてそこに居ました。

ボクの妻であるとか、女性であるとか、いっちゃんであるとか、そういうものが無くなり、ひとつの生命になり、だからこそ大きな存在感を放ったのです。

屋久島と言う「生命の島」の入り口を通り生命を知り。

出口で感じた生命はそれよりももっと深く大きくなっていました。

普遍性と偏在性を持ち、ボクの新しい感覚器官になって、新しい航海に進みます。

共有する生命。

当たり前と言えば当たり前のこの認識を持ったボクは、これまでとまったく違う次元に足を踏み入れたのかも知れません。

出会う人、出会う事、全てが輝いているようです。

ありがとう!ありがとう!!

ぽめろんになったボクが飛び立ちます。
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今日はいっちゃんと一緒に大川の滝に行きました。

もうすぐ屋久島を離れるボクたちの、残された日々の中で、ここに来る事はとても大切な儀式のようなものです。

ボクは屋久島に住み始めた1年11ヶ月前に、毎日の様にここに来て、凄まじい生命力を感じていました。

そして帰り道の中間の浜で、初めてぽめろんに包まれたのです。

春のような温かい日、久しぶりに晴れた空の青。

昨日の豪雨で滝は全開の水量です。

ふたつの滝に虹がかかり、ふたり以外に誰も居ない時間です。

ボクはふいに「ぽめろん」に包まれている事に気づきました。

これは言葉で表現するのが難しく、ただ「唐突に包まれた」とした言えません。

全てが生命に踊り、うごめき、満ちあふれています。

この感覚は体験した人でしか分かち合えません。

しばらくたたずみ、帰り道でいっちゃんは泣いていました。

ボクらは何も話しませんでした。

話さない事が当然のような感覚です。

ボクは屋久島に「おつかれ!」と言われたと感じていました。

ここで過ごした時間が、走馬灯のように駆け巡ります。

わずかの時間でしたが、この島で過ごした時間の卒業証書を貰ったような気持ちでした。

家に帰ったいっちゃんが、その時感じた事を話してくれました。

いっちゃんはボクと同じ様に「ぽめろん」に包まれていたと言いました。

ボクはこれまで何回か強烈なこの生命力に包まれた事がありますが、

誰かと一緒だった事はありませんでした。

今日はいっちゃんと一緒に、同じ様に感じていたのです。

これはボクたちにとって、今までと違う事が始まった印だと感じています。

ボクが言う「ぽめろん」は、「包まれる」ものでしかありません。

それを意図的に呼び込んだり、何か積み上げたり、そういう先には無いのです。

ひとつだけ「正直に生きること」だけが、その鍵です。

これを知ると、世間で様々に言われているものが、ただの神秘体験でしか無いと思えます。

これは強烈な「生命体験」です。

この世界で、そのままで、普通に、当たり前にある、生命の直視なのです。

ボクはこれを「話」では伝えられません。

絵を描く事でしか、これを伝えられないのです。

屋久島で生きた時間。

これは本当に大きな宝物だと思います。

これから、ボクたちの「ぽめろん」が東京で始まります。

ありがとう!!

屋久島ぽめろん。
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ボクといっちゃんが東京に引っ越す件について、意外に波紋が広がっているようで(笑)こちらも意外に感じている次第です。

何が波紋かと言うと、引っ越し先が「東京」だからなんじゃないかと予想する訳です。

たしかに、昨今は「自然」や「ゆとり」をただ唱えるだけでなく、実際に田舎に住んで

オーガニックな生活を実践して行こうと、田舎に移住する人が増えている様です。

全体の傾向としては「東京」や「東京的なもの」から離れ、より自然に近い暮らしに向いているのではないでしょうか。

「東京化」が地方都市の駅前に出来上がり、もうどんな街に行ってもどこがどこだか見分けが付かなくなりました。

これは「東京的」な「モノ」や「情報」に溢れた資本主義の行き着く姿でもありますね。

大方の意見としては「それもイイけど」でも「安らぐ生活を取り戻そうよ」という気分です。

そこで、屋久島と言う「極自然」の神秘的な島から、急に東京に行く理由が、良く分からないという感じなんだとボクらは話しています。

屋久島は自然が豊かというよりは、原生の島に生きるという方が合っている場所です。

優しい自然では無く、そこに生きる生き物を強く逞しくしてくれる環境です。

屋久島で生きる人の心身のタフネスさは飛び抜けています。

ここでの二年間は、ボクらにとって常識を超えた沢山の経験を与えてくれました。そして強く逞しくしてくれました。

そしてここに居て、本当に「今・ここ」という事が理解出来ました。

「今・ここ」とは文字通りですが、特別な時も、特別な場所も無いという意識で在る事です。

正月も誕生日も、聖地も戦地もありません。

祈りや儀式や祭りもただのイベントと同じになります。

自らの意識のおよぶ全てが、特別で当たり前な「今・ここ」だという意識状態です。

その意識で居ながら、肉体のある一人の人間として日常を営む事。

どこに居ても「今・ここ」ならば、どこにでも居られます。

それが「東京」の理由でもあります。

そして、そういう意識で見る東京は、人の営みの勢いと力が凝縮した、生命力溢れる場所でした。

そこには多くの個性溢れる人が住み、集まり、新鮮な生命力を広げて行きます。

生命は人間を通して最高の表現をしています。

その人の「顔」は無限の情報と直感を伝える「かお」です。

ボクはそこに住んで多くの人に会って、その人に表れている宇宙と「今・ここ」の生命を

「かおの絵」に描いて行きたいと熱望しました。

そしてそれがあっという間に現実化したのでした。

それがボクが東京に移る理由です。

屋久島の素晴らしさ、東京の素晴らしさ、両極端に見える二つの場所は、意外に似ているのかも知れません。

屋久島の面積は、東京の23区位だと例えるほど、そこに凝縮されたエネルギーは拮抗しているように感じています。

面白い展開を次々に繰り広げる軌道に目が離せません(笑)



よろしければしばらくお付き合いの程を。。。
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