春一番
2月に入ったら急に人に会うサイクルに入ったようで、昨日も昨日のテーマがあった。
自分の創作性に取り組む顕微鏡のような視点とは打って変わり、人に会うというのは自由自在なムーブカメラのような視点に立って物事を感じれるという機会であった事を
思い出した。
それほどこの3ヶ月は人に会っていなかった。
昨日のテーマは「実践」というコトであり、午前/午後/夜 と、会う人は違っていたが一貫した「実践とは?」が貫かれていた。
つくづく思うのは、人生の哲学であったり、信念だったり、そういう高尚なものを言語化するのは学習すれば誰でも出来る。
だから言語化の能力の高い人は人々の心を掴み尊敬されたりしている。
しかし、その哲学を実践するのは、目に見えない山野を幾重も幾重も超えていくような壮絶な工程であり、その人の悪戦苦闘ぶりはむしろ滑稽に写るようだ。
ほとんどの人は、その人が何を行っているのかでは無く、その人が何を言っているのかに注目するように教え込まれて来た。両親に、教師に、先輩に。
私達はまだそういう点に関しても、これから大いなる精神的成長の余白を残しており、世界のどんな分明や文化も、まだその分野の敷地は広大だ。
主義や宗教や、宗教というと日本人にはあまり馴染みが無いように感じている人も多いが、どんな文化でもそれぞれの善悪観を創って支えて来たのは、宗教というからくりだという見方をすれば、文化や文学や歴史的価値を除いた宗教的なもの全てを、もう一度でも何度でもちゃんと見つめ直す作業を始めなくては行けない。
宗教という概念の兄妹とも言える、教育や倫理やまたは科学。そしてスピ系。
。

自分の創作性に取り組む顕微鏡のような視点とは打って変わり、人に会うというのは自由自在なムーブカメラのような視点に立って物事を感じれるという機会であった事を
思い出した。
それほどこの3ヶ月は人に会っていなかった。
昨日のテーマは「実践」というコトであり、午前/午後/夜 と、会う人は違っていたが一貫した「実践とは?」が貫かれていた。
つくづく思うのは、人生の哲学であったり、信念だったり、そういう高尚なものを言語化するのは学習すれば誰でも出来る。
だから言語化の能力の高い人は人々の心を掴み尊敬されたりしている。
しかし、その哲学を実践するのは、目に見えない山野を幾重も幾重も超えていくような壮絶な工程であり、その人の悪戦苦闘ぶりはむしろ滑稽に写るようだ。
ほとんどの人は、その人が何を行っているのかでは無く、その人が何を言っているのかに注目するように教え込まれて来た。両親に、教師に、先輩に。
私達はまだそういう点に関しても、これから大いなる精神的成長の余白を残しており、世界のどんな分明や文化も、まだその分野の敷地は広大だ。
主義や宗教や、宗教というと日本人にはあまり馴染みが無いように感じている人も多いが、どんな文化でもそれぞれの善悪観を創って支えて来たのは、宗教というからくりだという見方をすれば、文化や文学や歴史的価値を除いた宗教的なもの全てを、もう一度でも何度でもちゃんと見つめ直す作業を始めなくては行けない。
宗教という概念の兄妹とも言える、教育や倫理やまたは科学。そしてスピ系。
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by prema-maaru
| 2009-02-13 15:24
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