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テレパシー

先日、パートナーと知り合いのバンドのライブに行った。
そのバンドとあと二組の構成で、知り合いのが一番最初だった。
以前に彼らのHPでちょこっと聴いた音が気持ち良かったのが来る動機になったが、満足させてもらって第二部に移る。
二組目はソロのギターの弾き語りの人、東京から来ている。
三組目は大人数の近県の若者バンド、このあたりで私はとても居心地が悪くなってしまって、ちょっと曲と曲の合間を見計らってパートナーに「行かない?」と聞いた。
彼女も同意見で一緒に出口に向う途中、知り合いのミュージシャンの知り合いに会うが、店を出る事を言うと「私も」と一緒に冷えた高架下脇の道路に出る。ぷはぁ〜

音楽を語れる言葉を持たない私は、二人に「何が気持ち悪かったんだろう」と聞いたが、二人の意見は「あの人達の音楽に対する姿勢の問題」と実に明確な解答。
テクニックがどうたらとか歌が上手いとか下手だとか、そういうのはあまり重要では無い場合もある。特にライブという特殊な環境では耳よりも空気や匂いや照明や、もろもろの環境をひっくるめてその時間の空間を感じるから。
ただ二組目と三組目に共通しているのは、自分(達)の創作物を披露する時の、その精神性が観客に向いているのか?自分に向いているのか?というポイントがまるで違った。
だから私は彼らのプライベートな部分を見たくないのに見せられているというような、不快な気分になってしまったのだろうか?
ただそれでも気持ちいい場合も確かにあり、何と言えばいいのだろう?
その境界はあいまいなのだが、あいまいながらも大きな差と感じてしまうほど明解でもある。
なぜなら今回外に出た3人はその点についてまったく同じ不快感を感じていたから。
私はライブの演奏の合間も、今に至るまでも、創作というもの、表現というものを考えている。
いや、もっと視野を広げるならば、人間の外面という大雑把な印象も含めてだ。
その人の雰囲気とか存在感というものが、実はかなりのその人の存在自体の情報を空間に放出しているんだろうと思う、ただ人間というものは多かれ少なかれ「こう見られたい私」というのを持っており、そう見られたい彼(彼女)というメッセージも含んで「その人」と読み取るように出来ている。
分かりにくい表現かも知れないが(笑)
私達は本来の「その人」よりも「そう見られたいその人」を重視して観るという傾向がある。
かっこいい服を着る。あまり知られていない情報を話す。髪型をキメる。明るく振舞う。
偉い人や賢い人のように行動する。お金に困っていないように振舞う。神を信じているように話す。
など・・・
その人が「そう在りたいその人」が外見の全面に感じられたら、その人がそうであるかのように理解するように世間を渡っている。
しかしその反面(潜在意識では)その人の本質も見事に嗅ぎ分け、かなり芯に迫った所まで「その人」を感じ取っているのも事実として有るように思う。
ひらたく言えば「僕らはずっとテレパシーで会話している」という事です。
そういう自分の感性に繊細に気づいて行く事が、自分の時間をより丁寧に扱って行く方法なのだと思っております。

最近私の文章は分り難いという評価を一部にもらっておりますが、見るポイントをちょっとずらして後方180度くらいから見ますと、ぱ〜っと何が言いたいのか分るシカケになっております(笑)
そこんとこヨロしくお願いいたします。

このテーマ続く・・・・
テレパシー_f0179615_1029196.jpg

by prema-maaru | 2009-02-25 10:33