田畑の光景
秀ちゃんの田んぼと畑を見せてもらいに行った。
自然農で耕さずに育てられた作物の生命力がハンパなく、今まで見た田畑のどれよりも美しいと感じた。
みかんの樹も野菜も稲も、刃物であるかのような角度で勢いがあり、何か表現力が追いつかないが、今まで見た事があるどんな田畑よりも自然に調和していると思った。
戻って。見学者(?)達でお茶を飲みながら語り合った。
私以外はプロの農家で(このプロという捕えたかたは後に相応しくないと思うのだが)私に見えている世界の何十倍もの情報を秀ちゃんの田畑で掴んだらしく、とても興奮していた。
皆の話を聞いていて、今まで私は大いなる勘違いをして来た事に気づく。
私は今まで農的生活を「原点回帰でもあり、未来志向でもある知的行為」というとなんだかアホらしいが、とにかく「ひそかにかっこいい」みたいな部分で見ていた事がある。
ところが皆を見ていると、明らかに私とは全然違う世界観を持っているのが分かった。
「なぜ皆んな自然農で田畑をやらないのか理解出来ない、こんなに自然とひとつになれる行為は他にはないし、こんなに本当に楽しい事は他にないから」とゆみちゃんが言った事で、私の心にあったブロックはガラガラと崩れた。
ぜんぜん見えていなかったんだぁ〜
賛否両論はあるだろうが「自然農」というのは農薬や化学肥料や微生物等、化学的な技術を排した所から始まり、その目的は地球に一体化した生き方である。
究極的に言えば、収穫量や利益まで受け身のお任せ大丈夫の姿勢である。
大規模農家のような野菜の作り方は、言ってしまえば野菜の養殖のようなものだと思うし、魚や動物の養殖と同様、生命に携わる現場でエゴを並走させるような矛盾を永遠に抱えている。
農業を商売にしない、畑は各家庭が自分たちが食べる分を作り、田んぼは何家族かが集まって運営するような姿に、未来の自分たちを観る。
半農半Xという言い方があるが、それもいかにも都会的な言い訳の言葉のような気がする。
農は何かと比べる事の出来ない、全ての基盤だと感じたから。
全ての人が農によって宇宙と一体感を感じている世界に貧困や戦争はありえない。
私たちは問題の解決の為にあれこれ無い知恵を絞る前に、まずクワを握る方が解決に早いかもしれない。
都会に居てもベランダでハーブを育てたり、郊外の畑を借りて少しずつ。
そういう事からしか本当の変化は無いだろう。
溢れる情報の波がぱんぱんに詰まった頭脳や心が破裂する前に、身体を使って自然とアースする時間を持つ事が、「楽な生き方」の基本かもしれない。
そして屋久島をぐるっと見渡せば、数多くの先駆者達が島を取り囲み、いつ始まっても大丈夫なように、いつ来ても平気なように、ずっと前から育んで来たのが分かる。
屋久島にある時間は都会と違って流れないのです。
右から左へ、もしくは左から右へと重低音で流れるのが都会の時間だとすれば、屋久島に在る時間は、ジワァ〜と島の周りを取り囲み、そこから温泉が沸くようにじわじわと積み重なっているのです。
過去も未来も「いまここ」にあって、ひと目でそれが見渡せるような異次元にあります。
屋久島に住んでまだ3ヶ月にも及びませんが、私はここに来るまでの体験が夢の中の出来事だったという感覚になってしまっています。
あの世、常世、シャンバラ、桃源郷、屋久島は。
そんな感じで。
自然農で耕さずに育てられた作物の生命力がハンパなく、今まで見た田畑のどれよりも美しいと感じた。
みかんの樹も野菜も稲も、刃物であるかのような角度で勢いがあり、何か表現力が追いつかないが、今まで見た事があるどんな田畑よりも自然に調和していると思った。
戻って。見学者(?)達でお茶を飲みながら語り合った。
私以外はプロの農家で(このプロという捕えたかたは後に相応しくないと思うのだが)私に見えている世界の何十倍もの情報を秀ちゃんの田畑で掴んだらしく、とても興奮していた。
皆の話を聞いていて、今まで私は大いなる勘違いをして来た事に気づく。
私は今まで農的生活を「原点回帰でもあり、未来志向でもある知的行為」というとなんだかアホらしいが、とにかく「ひそかにかっこいい」みたいな部分で見ていた事がある。
ところが皆を見ていると、明らかに私とは全然違う世界観を持っているのが分かった。
「なぜ皆んな自然農で田畑をやらないのか理解出来ない、こんなに自然とひとつになれる行為は他にはないし、こんなに本当に楽しい事は他にないから」とゆみちゃんが言った事で、私の心にあったブロックはガラガラと崩れた。
ぜんぜん見えていなかったんだぁ〜
賛否両論はあるだろうが「自然農」というのは農薬や化学肥料や微生物等、化学的な技術を排した所から始まり、その目的は地球に一体化した生き方である。
究極的に言えば、収穫量や利益まで受け身のお任せ大丈夫の姿勢である。
大規模農家のような野菜の作り方は、言ってしまえば野菜の養殖のようなものだと思うし、魚や動物の養殖と同様、生命に携わる現場でエゴを並走させるような矛盾を永遠に抱えている。
農業を商売にしない、畑は各家庭が自分たちが食べる分を作り、田んぼは何家族かが集まって運営するような姿に、未来の自分たちを観る。
半農半Xという言い方があるが、それもいかにも都会的な言い訳の言葉のような気がする。
農は何かと比べる事の出来ない、全ての基盤だと感じたから。
全ての人が農によって宇宙と一体感を感じている世界に貧困や戦争はありえない。
私たちは問題の解決の為にあれこれ無い知恵を絞る前に、まずクワを握る方が解決に早いかもしれない。
都会に居てもベランダでハーブを育てたり、郊外の畑を借りて少しずつ。
そういう事からしか本当の変化は無いだろう。
溢れる情報の波がぱんぱんに詰まった頭脳や心が破裂する前に、身体を使って自然とアースする時間を持つ事が、「楽な生き方」の基本かもしれない。
そして屋久島をぐるっと見渡せば、数多くの先駆者達が島を取り囲み、いつ始まっても大丈夫なように、いつ来ても平気なように、ずっと前から育んで来たのが分かる。
屋久島にある時間は都会と違って流れないのです。
右から左へ、もしくは左から右へと重低音で流れるのが都会の時間だとすれば、屋久島に在る時間は、ジワァ〜と島の周りを取り囲み、そこから温泉が沸くようにじわじわと積み重なっているのです。
過去も未来も「いまここ」にあって、ひと目でそれが見渡せるような異次元にあります。
屋久島に住んでまだ3ヶ月にも及びませんが、私はここに来るまでの体験が夢の中の出来事だったという感覚になってしまっています。
あの世、常世、シャンバラ、桃源郷、屋久島は。
そんな感じで。
by prema-maaru
| 2009-06-19 10:08
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