田畑を基に。
先週タカが来ていた目的は「六ヶ所村ラプソディー」の上映を島内3カ所で巡り、しめくくりで「ぶんぶん通信」と地元の人とのトークショーに出席する為だった。
私自身がスタッフで全ての準備と片付けを手伝い、映画に集まった方々の感じを視ていて自然に湧き上がっていた思いがある。
それは「答えの全ては田畑にあり」という確信だ。
都市部(とは言っても、現代の日本に本当の田舎は残っているのだろうか?どこに行ってもチェーンの外食産業が並んでいて、コンビニやサラ金の原色の建物が並ぶ通り、どこに居ても同じ場所だと錯覚する)そこで生活していた私の記憶をたどれば、都市部に生活する人たちの考えるエネルギー問題は、自動販売機を激減させる事やコンビニの営業時間を短縮させる事による電力削減。
みたいな。こういう方法論はたくさんあるが、基本的に感じるのは。。
「今の暮らしのまま環境が良くなるのを望む」
という絶対に無理な要求になっているように思える。
自分たちの住まいや仕事や生活環境を変えるという人たちも大勢居るが、大方はそういう極端な動きではなく、今のままより良い所に着地したいという願いに基づいているように感じる。
当然ながらこの姿勢はまったく自然界に通用しない。
文章が長くなるのでいちいち書くのは控えるが、地球のことを本当に考えるのならば、極端に言えば縄文時代に戻った生活をして、それでやっとスタート地点に立つようなものだろう。
それは無理な話だとして、それぞれが縄文により近づいた生き方に変えていくのがいっぱい溢れて来た兆しをもって、やっと「上向き」だと思う。
今はまだかろうじて「美しい」屋久島の自然も、いつ急に退廃してしまってもおかしくないような瀬戸際にいるんだと感じている。
加齢はある日急にやってくる。
私が思うのは、大勢の人が、出来れば全ての人が「自然農」を元にした田畑をやること。
自分たちが食べる分でいいと思う、余ったら人にあげればいい。
それで収入を考えなければ行けないような農業ではなく、あくまでも自給の為の田畑をやって行く事が、今の世の中を改める為の一番優しい方法だと思う。
自然農にこだわるのは、大規模でなければそれで充分で、あまり手間もいらず、安全な作物を得られるという利点、農薬や化学肥料や微生物といった自然界に違和感を与える薬を一切止める。
そのままの土に生命力が甦るのを待つ。
原発反対も戦争反対も、反対というプラカードを掲げて行進しているお母さんが家に帰って来て、地域の共同畑で野菜を作っている。
それでバランスが取れて行く様に感じます。
いつの日かコンビニや携帯ショップ並みに「農機具屋」が街のあちこちにあったりして!
まんざら夢物語でもないでしょう。
キューバという国はそういう変身を見事に遂げたのだから。
江戸時代や明治の中頃まで、日本人は全て手作りする民族だったようです。
何か必要なものが生じたら、それが幾らかな?という発想では無く、それを作る為にはどうしようかな?と考えました。
それがすぐに手に入らなくても。2年や3年掛かってスキルや技術を自分のものとして手に入るものは、ただのものじゃなくその人の一部になっているのです。
今回の流れの中でくっきりとした事は「すべての答えは田畑にある」という達観。
それが一番早く、一番確実に世の中が住み良い環境に転じる一歩だと思います。
そしてまずは「自分」から、、、、
縄文人に近づいて行きたいと思っています。
私自身がスタッフで全ての準備と片付けを手伝い、映画に集まった方々の感じを視ていて自然に湧き上がっていた思いがある。
それは「答えの全ては田畑にあり」という確信だ。
都市部(とは言っても、現代の日本に本当の田舎は残っているのだろうか?どこに行ってもチェーンの外食産業が並んでいて、コンビニやサラ金の原色の建物が並ぶ通り、どこに居ても同じ場所だと錯覚する)そこで生活していた私の記憶をたどれば、都市部に生活する人たちの考えるエネルギー問題は、自動販売機を激減させる事やコンビニの営業時間を短縮させる事による電力削減。
みたいな。こういう方法論はたくさんあるが、基本的に感じるのは。。
「今の暮らしのまま環境が良くなるのを望む」
という絶対に無理な要求になっているように思える。
自分たちの住まいや仕事や生活環境を変えるという人たちも大勢居るが、大方はそういう極端な動きではなく、今のままより良い所に着地したいという願いに基づいているように感じる。
当然ながらこの姿勢はまったく自然界に通用しない。
文章が長くなるのでいちいち書くのは控えるが、地球のことを本当に考えるのならば、極端に言えば縄文時代に戻った生活をして、それでやっとスタート地点に立つようなものだろう。
それは無理な話だとして、それぞれが縄文により近づいた生き方に変えていくのがいっぱい溢れて来た兆しをもって、やっと「上向き」だと思う。
今はまだかろうじて「美しい」屋久島の自然も、いつ急に退廃してしまってもおかしくないような瀬戸際にいるんだと感じている。
加齢はある日急にやってくる。
私が思うのは、大勢の人が、出来れば全ての人が「自然農」を元にした田畑をやること。
自分たちが食べる分でいいと思う、余ったら人にあげればいい。
それで収入を考えなければ行けないような農業ではなく、あくまでも自給の為の田畑をやって行く事が、今の世の中を改める為の一番優しい方法だと思う。
自然農にこだわるのは、大規模でなければそれで充分で、あまり手間もいらず、安全な作物を得られるという利点、農薬や化学肥料や微生物といった自然界に違和感を与える薬を一切止める。
そのままの土に生命力が甦るのを待つ。
原発反対も戦争反対も、反対というプラカードを掲げて行進しているお母さんが家に帰って来て、地域の共同畑で野菜を作っている。
それでバランスが取れて行く様に感じます。
いつの日かコンビニや携帯ショップ並みに「農機具屋」が街のあちこちにあったりして!
まんざら夢物語でもないでしょう。
キューバという国はそういう変身を見事に遂げたのだから。
江戸時代や明治の中頃まで、日本人は全て手作りする民族だったようです。
何か必要なものが生じたら、それが幾らかな?という発想では無く、それを作る為にはどうしようかな?と考えました。
それがすぐに手に入らなくても。2年や3年掛かってスキルや技術を自分のものとして手に入るものは、ただのものじゃなくその人の一部になっているのです。
今回の流れの中でくっきりとした事は「すべての答えは田畑にある」という達観。
それが一番早く、一番確実に世の中が住み良い環境に転じる一歩だと思います。
そしてまずは「自分」から、、、、
縄文人に近づいて行きたいと思っています。
by prema-maaru
| 2009-06-29 07:08
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