不安と心配
引きこもって絵を描いている生活が長く続き、最近はほとんど外出しない。
別に世の中との接触を断っているというつもりも無く、ただ単純にそれが一番したいのだ。
絵を描き自然の背後に在る「おおいなる存在」を感じ、それを妻と話す事で私は私の人生が完全に満たされているのを感じている。
寂しいとかつまらないとかは全く思わず、酒を飲んで晴らすウサも無いので、外に遊びに行く事もめっきり無くなった。
ウチに訪ねて来てくれる友人は、基本的にそういう空気を読み、玄関に入る前にチューニングをし直して入って来てくれるようで、あまり気にもしなかったが、久しぶりに外出していろんな人に会うと、そうでは無い空気が在った事を思い出した。
みな「不安と心配」をベースにしたマトリックス(幻想世界)に浸っているように見えた。
それでも別に不満を言い合ったり互いに攻撃し合っている訳でも無いが、それこそ「空気を読む」とう感覚器官が私にそれを教えてくれる。
空気を読む、、という言い方は誰でも良く使う表現になってきたが、これこそテレパシーの事であり、その場の気配を読み取ることは誰でもしている。
子供や生き物はテレパシーの達人であり、鈍くなった大人でもかなりの情報を読み取っている。
みんな超能力者だったのだ。
不安も心配もみな思考という自我が作り出したものであり、本来は存在しない概念だと思う。
昨日までの事を思い煩っても仕方ないし、明日からの事を心配しても明日にならなければ分からないし、心配だったらそれを回避出来る知恵を絞った方が得策だ。
それは心配や不安とは別のもので、ゲームの難問を切り抜けるアイディアをあれこれワクワクしながら練るような行為で、とても楽しい事なのだ。
私たちには「いま」しか無く、あそこやあっちも無く「ここ」しか無い。
そう思える事で、幾分かは不安も心配も小さくなり、愛をベースにした本来の世界が見えてくるのだ。
しかし私には確信があり、みんなそういう「本来の自分では無い経験」をする事で、「本来の自分」に戻る過程を歩いているのだ。
そういった意味では私は安心していて、誰がどう言おうとまったく大丈夫だと思っている。
愛をベースにした世界は、いま見えている世界と見かけは何も変わりがないが、不安も心配も入る隙間が無いのだから、ゆっくりゆっくりと変わって行くだろう。
私たちのひ孫の時代になった時、地球はどんなに素晴らしい星に生まれ変わっているのか。
それを考えるとしあわせな気持ちに包まれて、いまここに居ることを感謝したくなる。
しかもそれは既に始まっているのだ。
祈りも願いも必要無く、初めから感謝のある世界へ。。。

by prema-maaru
| 2009-10-25 10:22
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