人気ブログランキング | 話題のタグを見る

いっちゃんの誕生日

今日はいっちゃん(妻)の誕生日だ。
そして私の本当の誕生記念日でもある。

いっちゃんとは数年前のイベントで出会い、その前後にミクシィを通して日常の思いを相互に伝えあうような、知り合いというか友達だった。

関係が変わったのは一昨年の秋。
私はその年の春に離婚し、それまでの仕事も何もかも精算して、ある農園に移り住んだ。
そこは正直さをモットーとしている、精神的な自給自足のコミュニティとして、社会的に強烈なメッセージを今も放っている場所だった。

その集団に入る事で、私は自分の人生の目的に一歩近づいたような、安心した気持ちになっていた。

ところが実際に生活を始めてみたら、自分が予想していたようなものとは違う事がはっきりと感じられた。

人は自分が選んだものは「自分にとって良いもの」だと思いたいので、しばらく馴染もうと努力したが馴染めず、たった三ヶ月でそこを出る事になる。

入る時が無一文のなで、出る時も無一文だった。

そのままだとホームレスまっしぐらなので、何とか宿舎食事付きの仕事を探し出した。

立山の山小屋の「管理」と呼ばれる肉体労働だった。

40半ばの運動不足の身体だから、息子ほどの若い人達と一緒に働くのは随分無理なことだった。

それでも何とか三ヶ月辛抱して、ようやく安アパートを借りられるお金が出来た。

その少し前からいっちゃんとはメールで近況を報告しあっていた。
いっちゃんはその間ずっと励ましてくれて、私はそのことだけを頼りに辛い仕事を淡々と乗り越えていた。

疲れきって骨と皮になり、プライドもズタズタになった私を、いっちゃんは暖かく迎えてくれて、一緒にアパートを探してくれた。

私が名古屋に住む事になったのは、いっちゃんがそこに居たからなのです。

(その時は試練だと思っていた農園と山小屋の生活は、今になってみれば「本当の自分」をあぶり出す、これしか無い!といった最高の機会だったことが分かる。 人生には無駄なものも偶然も無いという事が、本当に感じられる)

いっちゃんの献身的な介護のお陰で、だんだんと元気が戻って来て、すぐに私達は恋人同志となる。

それから半年も経った頃、かなり元の元気を取り戻していた私は、その元気をもっといろいろな可能性に試したくなったのだ。

ずいぶん身勝手な性格なので、いっちゃんと一緒にいる事がわずらわしくなって来たのだ。
いま思えば、なんて自分勝手な事!と思うが。

いっちゃんに別れを伝え、私はあらゆる可能性に向って、ギラギラとした眼を周囲に向け始めていた。

別れてもいっちゃんはそれまでと変わらず、私の事を第一に考え、御飯を作りに来てくれたり、私の生活の面倒を見てくれていた。

私は後ろめたい気持ちもあったが、自分の正直な気持ちを押さえる事は出来なくて、しばらくはそのまま不思議な関係を続けていた。

そんな私達に決定的な出来事が起こったのが、昨年の今日、いっちゃんの誕生日だったのだ。

その日は名古屋のトライバルアーツで「みのりの祭り」というイベントが開催されていて、私は似顔絵で出店していた。

とても寒い日で、雨も降っていて、野外の駐車場が会場だったから、私は行く前からどんよりとした気分だった。

それほど知り合いも居ないので、あまり話す人も居ない、寒くて雨だからお客さんも居ない、身体は冷える、お腹が減った。

とても沈んだ気分で居た、しばらくして仕事が終わったいっちゃんが来た。

私はそれは嬉しくなり、やっと助けが来た遭難者みたいに歓喜した。

その時だ、暗くなった外から店の中や店の外や、どこもかしこも、沢山の落ち葉や柿など、秋の実りがディスプレイされていて、きらきらと輝いているでは無いか!!

そんな事それまで気づかなかったのだ。

寒く縮こまった気持ちで居た私は、いっちゃんの顔を見た途端に世界がパっと開け、それまで「見えなかったもの」が見えたのだ!!

どこもかしこも「愛」の気持ちがこの空間を充満していたんだ。

それと同時に、いっちゃんが私にしていた態度や気持ち、愛がありありと見えたのだ「世界は愛で出来ている」という覚醒体験が押し寄せた。

その驚きは、深く弱っていた心身を一瞬で癒してくれたようなものだった。

いっちゃんは私にとってまさに天使であり、ずっと変わらぬ愛の眼差しで居てくれた事が走馬灯のように駆け巡る。

それはそれは幸せな気持ちに包まれ、私はそれからずっと笑っていた。

沢山の友達がその目撃者だ。

帰りの地下鉄の中で、私はいっちゃんにプロポーズする。

そしていっちゃんが次のビジョンに選んでいた屋久島移住に私も行く事を告げる。

事態は急展開して行く。

そういう流れで屋久島に一緒に住む事になったのであります。

いっちゃんとの関係はそれまでのどの関係と比べても充実している。

樹々や生き物や昆虫に潜む神秘を語り合って盛り上がったり。

人間関係の中にある大きな気づきを共感しあったり。

物事の奥に有る神性を感謝しあったり。

そんな充実した時間を一緒に過ごせて、しかもそれが妻なのだ!

妻であり親友であり最大の理解者なのだ!!

同じ事を見ても少し角度が異なるので、ものごとをより立体的に見る事が出来る。

ふくろうが頭を動かしながら、左右の眼を交互に使いものを見るような感覚で居る事が出来る。

これは奇蹟としか言い様が無い。

いつも素直で感謝のこころで居るいっちゃんとの出会いは、私の人生が最高に輝いている事の最高の証明だ。

いっちゃんの誕生日に愛を知った私は、この日が本当の私の誕生日だと感じている。

そこから生まれ変わり、第二の人生がスタートしたのだ。

だから今日はふたりの誕生日です。

誕生日おめでとう。

共に身体の朽ちるまで、最高な「いまここ」を楽しもうね。

いつもありがとう。

愛をこめて。。。

いっちゃんの誕生日_f0179615_6244498.jpg

by prema-maaru | 2009-10-26 06:25