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生きる

文章というものは、書き手の意図がどうあれ

その文章を読む方の「読み方」に委ねられたものです。

また、文章を書く人が、どういう人生を生きていて

なにをどうとらえているかによって

同じ「言葉」が無数の意味合いに変わります。

「死」を不吉だと思う人もあれば、

それは自然な事だと思う人もあれば、

どういう死に方が問題か?と思う人もあれば、

様々であり、その幅はそのまま、その人の人生観を物語ります。

同じ様に「生きる」も、相当に幅のある言葉です。


と、前置きした上で。。





ボクは「生きる」というものを

肉体をながらえる事だとは思っていません。


楽しい事や厳しく辛い事があったとき

そのどちらも、大きな幅を見ながら

「わたしは何ものなのか?」という問いと向き合う事が

ボクにとっての「生きる」事だと思っています。


自分が大人だろうが、子供だろうが

「生きる」という表現において

又、

それを意識しようと、無意識に居ようと、

どんな人にもそれが当てはまると思います。


この世界を見渡して、

様々な個性や考え方や、

善悪や損得や

沢山の価値観に溢れている様に見えるものは

さっき言った「幅」の中にすっぽりと収まり

ただ同じ「生きる」を繰り広げているように思えます。


「七世代先の子孫を考えて選択する」という格言がありますが

その未来に「自分」は存在しているでしょうか?

もちろん、自分の肉体は無くなっていますが

「生きる」という意思はしっかりと繋がって生きています。


その意思を「生きる」


生きていたら

自分のちっぽけな悩みや問題は

人生を織りなす「模様」に変わって見えるかもしれません。


くよくよしないで

転んでもただで起きなくて

どんなに追いつめられても突破口を見つめて

生き続ける

死んでも生きる。


いま、その意識を大勢の人が感じていて

それぞれのやり方で向き合っているのが分かります。


その横顔は活き活きとしていて

優しさと勇気を放っています。

生きている

活きている生命


それが、ボクにとっての「生きる」です。
by prema-maaru | 2011-04-11 09:11 | Comments(0)