事に仕える
「仕事」とは、「事に仕える」なんですよね。
先日久しぶりに会った友人がそう話してくれました。
その言葉からいろいろと思索し、自分や他人の表現と言うものを見つめていました。
言葉にしても表現にしても、それは「その人」が聞きたい言葉であり、見たい聴きたい食べたい感じたいものなんだと。
自分が一番好きなものを、私たちは意識的にも無意識的にも世界に発信しているのだと。
そこで丁寧に心を込めて精進を重ねたものは「本物」だと言われたり「一流」だと言われています。
それが「人間らしさ」であり、それはそれで良いのだとも思います。
その人間らしさは「自我」と呼ばれています。
自分が欲しいものを自分で作り、誰かにも分け与える。
それが「仕事」だとボクはずっと感じて来ました。
しかし「事に仕える」という意味を見つめていたら、その順番が逆転してしまいました。
「事」とは文字通り「この世界の全ての事」であり、それに「仕える」とは?
では、私(自我)たちに仕えているのは何でしょう?
それは「生命」と呼ばれる寡黙な力です。
生命は私たちに身を投げ出し、自らを食べさせてくれているのです。
本当の仕事とは、自我が生命に仕える時に始まるのでは無いかと思いました。
それで「わたし」は生命と一体に成り、やっと本当の仕事が出来るのです。
ただ、これはかなり至難の業です。
もしかしたら人間の意識には無理なのかも知れないとさえ思っています。
自我はどこまでも主張を止めようとしません。
やっと死に行く時の一瞬に訪れるかもしれない「融合」なのでしょうか?
それでも、ボクはそれで良いと思います。
それを「生命」が赦してくれている事を「愛」と呼ぶならば、
私たちは「愛」に包まれて生きていると実感出来るからです。
沢山の別の自我の溢れる世界を、たった一つの「生命」が包み込む。
気づいていようがいまいが、それはそうなのですから。
よわいちから マシマタケシ展 cafeSlow 2012.1/17~22
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