悪を抱く

なんか物騒なタイトルですが(笑)
先日幸運にも巡り会えた近所の治療院の先生と話した帰りに「たとえば『病気や死』は悪だよな」という言葉が自分の口から湧いて出ました。
一般的な「悪」という言葉から受ける印象と「病気や死」は違うかもしれませんが、それを避けたい関わりたく無いという事柄については似ています。
みんな病気にならないように生き、病気になれば必死に直そうとします。死もそうです。
ボクは自分の腰痛を「小悪」だと考えてみた所、少し「悪」に対する考えに変化がありました。
この先生とは初対面から全く安心を感じる方で、それは先生がその域に達しているからなのも有るでしょうが、そういう事よりもも「自分の考え方とフィットしている」という感覚です。
ボクが身体を診る治療をするのであれば、こういう視座で見たい。と思う事を実践されていると感じました。
これがなかなか文章で言い表すのは難しいのですが、簡単に言うと「臨機応変」なのです。
身体を物だとは考えていません。
幾重にも重なった生命という捉え方をしています。
ですから決まったやり方は無く、その人の身体と心に応じた対応をしているのが直ぐに分かりました。
患者が先生のスタイルに合わせるので無く、患者に先生が合わせるやり方です。
ボクは腰痛(小悪)によってこうした出会いがあり、それによって身体の事もそうですが自分の姿を客観的に観る大きな機会をいただきました。
そういう人との出会いは、今までの経験上そうあるものではありません。
そして多かれ少なかれ転機のきっかけとはそういうものだと思います。
悩みも無く健やかに生きる事を本当にしていたら、その人生はちょっとボクにはつまらないかも知れません。
山があり谷があり、予想もしない展開に翻弄されながら急死に一生を得るような人生が好みです。
という意味でボクの人生には「悪も善」もきっかけでしかありません。
という事がひとつあります。
「悪」についてはある意味ボクの生涯のテーマなので、あまり簡単に言葉には出来ないのですが、
せっかくこうしてブログを書いているので「記録」のような意味合いで少し書いてみる事にしました。
生涯のテーマですから「答え」は見つからなくて良いと思っています。
途中で総括して分かったような事を言うつもりもありませんし、たまにこうして「言葉」になったら書いて行きたいと思っています。
「悪」とは?
分かりません。しかしそれを見つめない限り、ボクは「善」も「しあわせ」も分からないように思います。
最近「オウム真理教」の一連の事件や、教団に居た人、被害者等のしらべものをしています。
「オウム真理教」というフィルターを通してこの世間を見ると、少し見え方が変わるのを感じます。
サリンと放射能を比喩にして話した教授がいますが、言葉は刺激的ですが、言わんとしている事は道理に合います。
社会やスピリチャルや日常の普通の暮らしにオウムフィルターを通すと「同じ色」が見えて来ます。
その色に「悪」の秘密があるような気がしているのです。
しかしその色は「善」という志に支えられているという所までオウムと同じなのです。
ちょっとやばい話になりそうなので、この辺で終わります。
明日は冬至ですね!
よわいちから マシマタケシ展 cafeSlow 2012.1/17~22
マシマタケシのホームページ

悪。 自分の中にも温かい感情(未熟かもしれない)とデビルマンがいますね。
本当に大きなテーマですね!
わたし、虫歯があるような無いような…。
自分の中の小悪を認めたくない自分です。(笑)
ほんと寒いですけど、お身体ご自愛下さい。
ありがとう!
ボクもそうおもいます。

私は私自身が「悪」の表現者だと思っていました。
今も、特定の誰かにとってはそうかもしれません。
なぜ、自分が「そうしてしまう」のかわかりません。
なぜ、自分に「善きことへの衝動」が起こらないのか
わかりません。。
ボクは自分に正直にしていると、それが人や立場で「善もしくは悪」に変わるので、面白いと思ってます。

なんだか今自分が日々考えていることと同じニオイがします~。
痒い所に手が届きそうで届かなそうでもどかしい。
また書いて下さいm(__)m
そうですね、ネガティブというよりは「表面的なもの全て」という感覚です。

私はこの「ため」が曲者だとにらんでいます。
「善」も「悪」も「ため」を挟むと全く違う意味がくっついてしまうのです。「善」の「ため」に「悪」をする。「善」は「善」、「悪」は「悪」です。乱暴かな?でも、物事はとても単純なものだと思うのです。
寒いと血流の流れが悪くなりますから(科学的に言うと)、どうぞご自愛下さい。
そうでよね!「ため」はくせ者ですね。
程度はあると思いますが。
ふくらはぎ揉んで血を巡らせています(笑)
ありがとうございます!

オウム真理教という宗教は叩かれたけど、宗教という皮を被っていないそれは叩かれることもなく、信者を増やし続けてきた。
さて、ここからこの国はどこに進むのか。
そんなことをよく思います。
ホントにそうですね!
自覚無きカルトの信者になっているんだと思います。
そこからの脱会だと思うのです。