いのり3

「よわいちから いのり」作品より。
「いのり」の絵を描いていて、何故か心が重くなるのを感じていました。
つまり「祈らなくてはいけない」という強迫観念のような、後味の悪い雑味が残るのです。
ただし今回「いのり」と題したのは、元々天の邪鬼な自分に「あんまり斜めに見てないで今回は正面から」という挑戦でもあり、この題名がもたらしてくれる直観は今尚効いているのは確かな事です。
結論から言えば「祈り」とは「感謝」であり、いつも感謝して生きているというのは「正直」となります。
正直な者には祈りは要りません。
在り方が感謝であり祈りだと思うからです。
そこには霊的な力も必要無く、日常の茶飯事がそのまま祈りで在ります。
ひっくり返って日常が霊的(スピリチャル)であり、常識で言われるスピリチャルがただの趣味という事になります。
大阪の個展の後に23年ぶりに和歌山に行きました。
23年前のボクはガチンコの神道修行者を気取っていて、数々の神社や聖地を訪ね過酷な修行を重ねていました。
那智や熊野や高野山はベースキャンプのような場所でした。
その頃は神霊の指示するまま「祈り」を捧げる毎日でしたが、その時にも感じていた後味の悪さというものを思い出しました。
いま思えば「カミサマごっこ」に興じていた訳で「日本のため」とか「地球のため」にマジで身を捧げる様な自分にうっとりしていたのかも知れません。
今回23年も経っていたから忘れているだろいうと思っていた真言やマントラがスラスラと口から流れ出し、「みつごのたましい」じゃ無いですが、和歌山の霊的な氣に久しぶりに触れた自分が前世還りをしたかのような気分でした。
この旅は次回の個展「いのり」の前提としてはとても大きな試練と言うか課題を与えてくれました。
「いのり」とは?
さらに一歩進めて「正直の祈り」という「いのり」も観えて来ました。
しかしここはもう「個人」の領域ではなく、もっと根底に在る「意識」に触れる事になるのかも知れません。
そしてこのところずっと描いて来た「母と子」が「いのり」そのものだなぁ〜と改めて感じ、この作品もそういう絵になって行きそうです。
一巡りしたのか元に戻ったのか?
でも確かに自分の心の輪郭はよりハッキリした様に感じています。
言葉は共通のものですが、意味は人それぞれ違うと感じます。
自分の言葉を見つける。
その言葉が自分を導いてくれるのだと思うのです。
個展「よわいちから いのり」長野県松本市「カフェ 歌」9/1~9
福井「ささした助産所」でミニ個展&「かおの絵」9/21/22/23
マシマタケシのホームページ
「みろくのこ」がそばにいてくれるだけで幸せです♪
本当にありがとうございます。


