awakening




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期が熟した。というのか先日「屋久島での日々をまだ消化出来ない」と言ったけど、それを口にしてから少しずつではあるけど「屋久島」のあの時間が目の前に戻って来たようだ。

こんな個人的な事を公開するのは少し気が引けますが、同じ様な体験をした人や、これからそういう事に巻き込まれて行く人にとっては少しは役に立つかも知れないと思い、書く事にします。

少し長くなりそうなので、興味のある方以外はスルーしていただきたい。

屋久島に引っ越してから二週間位経ったある日、ひとりで近くの海岸で海を見ていた。
ふと右手にあるハマエンドウというありふれた海岸に茂る草花に目が行き、吸い寄せられる様に歩いて行く。

足下にあるそれを見た時に「この花は自分だ」と気づき殴られた様な衝撃を受けた。
その時に全て(本当に全て)は崩壊して、この世界が「つくりもの」にしか見えなくなる。

それから三ヶ月位は気が狂っていたとしか思えない位に朝から晩まで遊び回っていたように思う。
目にするもの全てが(人も何もかも)精巧に作られた「反映物」にしか見えなくなってしまっていた。
車を運転しても自分が進んでいるんでは無く「向こうが近寄って来る」ように思えた、まるでゲームセンターのレーシングマシーンのように。

日常にリアリティは無くなり、精神が持つ自由度をフルに活用したような感覚が身に付いて来る。

それがグルンとひっくり返ったのが2009年7月22日の皆既日蝕だった。
あいにく曇っていたから太陽の姿はのぞめなかったが、それが逆に「皆既日蝕」の恐ろしさというか霊的な側面をメインにしてくれたと思う。

山の斜面で迎えた皆既日蝕は猿や鳥を怯えさせ、急に冷たい風が山を駆け下り、この世の終わりを目撃しているような気持ちにさせた。

その時に腹の下から声がした「もうアソビは終わりだ」。。

ボクは屋久島に住んでからずっと描かなかった絵を描く様になった。
それまでは描かないというよりも「こんなもの凄いものは描けない」と感じていたのだ。
でもそれからは何とか描きたい、と思う様になり、毎日描いてはblogに上げる様になる。

そして大きな変化として、人に会いたく無くなった。
それまでは毎日誰かと一日中遊んでいたが、それ以降人に会わない様にした。

それはあまり上手に説明出来ないのだが、いつも何かに見られていて、いつも耳元で話しかけられているような状態がずっと続いていて、誰かと居るとそれが聞こえなくなったり見えなくなったりするからだった。

屋久島の友達たちはボクが急につきあいが悪くなったのをどう感じていたのか?
でもそれも気にならなかった。

「ひとり」で居なければそれを感じられなかったし、ささやく声を聞き逃したりしたからだ。

でもそれはよく聞く霊媒的なものとは違う様に思う。その声も視線も何かを教えてくれたりアドバイスをするような「人間的」なものでは無かったからだ。
もっと大きな、例えるならば海の中の魚にとっての「海水」のような圧倒的なものだ。

どんどん「人間関係」から遠のき、どんどん「生命感覚」に傾向していった。
ひとりで過ごす時間が永遠に続いても苦にならないと思っていた。

そういう最中、半年ぶり位に島の外に行く機会が出来た。
ボクの興味は「屋久島を離れてもこの声や目はあるのか?」だった。

結果、まるで問題ない事を感じた。どこへ行ってもだ。
どこに居ても「ひとり」に成りさえすれば、ボクはそこに触れているのが分かった。
それは今でもずっとそうです。

そう言う事でボクは屋久島を離れたんだけど、あれから二年少し経って、それまではもう屋久島に行く事は無いだろうと思っていたにも関わらず、帰ってみたい気持ちになった。

この話の続きは屋久島に行った後に。

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by prema-maaru | 2013-05-25 11:10