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今日みたいに明らかに「仏」を描く事をボクは実は避けています。
自分は仏教徒ではないし、特定の宗教を信仰してもいません。
ただなんとなくそういうものを表現するのに抵抗があり(というより、その宗教文化が深淵なものだと思っているから)よほどの事が無ければ描きません。

ただ「慈愛」とか「巨大な心」を表現したいと、そういう衝動が訪れた時に「どうしても仏でしか表現出来ない」という壁が目の前に立ちはだかります。

常識的な「聖なる」に対してすこし反逆的な思想を持っているのにもかかわらず、描く姿は「聖なる仏」を選んでしまうのです。
仏の姿は人間が公案したもので、本当の仏性のほんの一部分しか表していないと思っています。
野に咲く花や日の光、人の心や季節の移り変わり。そういうものの中に「仏」を観たいにしえの仏師が(いまは形骸化されている)仏の姿として刻んだのだと思います。

ですから如来や菩薩やさまざまな仏達にはポーズや装飾が決められており、そこから外れたらもう「それ」とは呼ばれなくなくという陳腐なものまで出来上がっています。

もしかしたら自分は「仏」が創造された元の意識に遡ってそれを観ようとしているのかも知れません。
どんな文化や宗教でも「聖なる」は大体似た様な表現をしています(悪が似ているのも同じ)
その「人間」の根底にある「人間である意識」を振り返って見たいが為に、仏を描いているのかも知れません。

芸術家は宗教家よりも飛び抜けて自由なので(笑)もしかしたらその壁を突き破る可能性を秘めていると思っています。

5 elements マシマタケシ個展 6月毎週土日OPEN Galeria Anonima 荻窪





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by prema-maaru | 2013-06-06 13:31