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ましましたいばん展



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胎盤から受けた衝撃をそのまま描いた「placenta」です。
この絵はある詩人の元にありますので展示には持っていけませんが、
「胎盤絵の始まり」としてここに掲げます。



福井県 越前市 ささした助産所
「ましましたいばん展」
ボクが「胎盤」に出合った聖地での『胎盤展』を開催します。
6/9(月)〜18(水)*11日と12日におります。
OPEN 9:00〜17:00 (15日の日曜日のみ13:00~17:00)
電話 0778(24)3841



2013年の3月、私は「ささした助産所」で絵の展示会を開催させていただきました。
それまで何度かささした助産所には訪れておりましたが、中々タイミングが会わなくて「お産」の現場に居合わせる事も無く、三回目の訪問にして初めての「お産」の現場にいる事が出来た日でした。

その前の晩に私は皆さんに連れられて外で食事をいただいていましたが、お産の気配がすると電話連絡を受けた弘子さんと優姫さんの顔つきが急に「ぴしっ」と締まり、空腹を紛らわすだけの料理を口にいれ、颯爽と助産所に向かう姿を追いかけながらも、内心ドキドキして食事の味が分からなかったのを覚えています。

食事を終え助産所に戻ると、妊婦さんやご家族の方が静寂な心境でその時を迎えている様なピーンとした空気がそこにありました。
部外者である私は下の部屋で横になりながらも、その神聖な雰囲気に飲み込まれながら寝たのです。

翌朝目を覚ましてもそれは有り、その感触で「お産はまだ始まってないんだな」と分かる程でした。
普段と違う時間の流れる中で、とうとうその時はやって来ました。
ボクは耳を側立てながら、音だけを頼りにお産に立ち会っていたような心境です。

無事元気な赤ちゃんの鳴き声が助産所に響き渡り、緊張が一気に抜けた頃には、私は一緒になって力が抜けてしまったのです。
しばらくして弘子さんが「胎盤見ますか?」と声を掛けてくれました。

正直に言って、それまで「胎盤」がどういうものなのか、胎盤とは何か?なんて考えもした事もありません。
銀のトレーの上にビニールに包まれた肉の塊がありました。
弘子さんはそのビニールの固く縛った結び目を丁寧にほどき、中からまだ温かそうな血みどろの肉の塊を取り出しました。

それは「衝撃」以外にはありません。
弘子さんは濃く赤い、赤紫にぬめぬめとテカった肉の塊を広げて見せて「ここが臍帯、血管太いでしょ」「けっこう大きいでしょ」「はじめて見た?」なんて言いながら「触ってみますか?」と言ってくれたんですが、私は「結構です」としか言えません。
あまりにも畏れ多く、あまりにも圧倒されていたのです。
その「蓮の葉」のような形状の臓器は、蓮の葉よりも随分と厚みがありましたが、張り巡らされた血管や臍帯には、肉というより「植物的」な静かな生き物の亡骸に思えました。

其の時、私のお腹の底から声が鳴り響きました「これが『ヒト』の正体だ」
見てはいけないものを見た様な、生命の秘密に触れてしまったような、そんな落ち着かない気持ちがそれからずっと続きました。

展示会を終え東京に戻った私は「胎盤」について調べ出します。
胎盤は「えな」と言い、世界各国には古くから胎盤信仰の文化が残されている事。
私はそれまで「えな」を子宮だと思っていたのですが、それは混同した間違いで、子宮と「えな」は全く違う扱いでありました。
信州の諏訪には「えな」の聖地であり、周辺には「恵那」や「伊奈」やその音を語源にした土地があります。
岐阜の恵那はアマテラスオオミカミ自身の胎盤が埋められた場所だという言い伝えが残っています。

胎盤は受精後直ぐに胎児と同時に生育を始め、最初の内は絨毛状のマリモや魚の卵のような形状ですが、ある程度育つと子宮の壁に着床し、そこから血管を伸ばして母体の血液を取り込み始めます。
タマゴが割れ、胎児の臍から三本の血管をらせんに伸ばし、子宮の中で太古の魚の様な姿の赤ちゃんが顔を見せます。

胎盤はつまり「胎児のお腹から伸びた、外部の内臓」という言い方も出来ます。
お腹の中に居る時期、胎盤と胎児は一体なのです
出産後、胎児と胎盤は切り離されます。
えなの事を「後産」とも言いますが、それは先に出て来た赤ちゃんの後から出て来る「えな」の事なのです。
私たちは二度生まれたのです。
最初はこの身体として、二度目は「先に黄泉の国に行く精霊」として。

私は、世界各地の神話に残る「隠された神」を想います。
「今の神」の存在に隠されてしまった「本来の神」が、その姿を現す事で世界がバランスを取り戻す物語。
胎盤に出合った衝撃は私の生きる目的を明確にしてしまいました。

私の「胎盤を描く」が始まります。
もちろん、胎盤そのものというよりかは「胎盤という意味合い」が多いのですが、胎盤そのものを描いた時の衝撃は絵にも宿り、多くの人に響くのが分かります。
私が一生胎盤を描く「胎盤画家」になった経緯でした。

私にとっての「胎盤聖地」である「ささした助産所」で「胎盤絵」の展示会が出来る事は、この衝動に承認をいただいたような、誇らしい気持ちがあります。
胎盤にいただいた衝撃波を私は絵に込めて多くの人に見て頂く事が、生涯の勤めと想っております。
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ILOAI to NEILO マシマタケシ個展 at Galeria Anonima may.2014


さいほうめぐり 遊行



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by prema-maaru | 2014-05-26 15:22 | Comments(0)