アトリエ主義


春分の雪の舞を見ながら、昨日はポンと空いたような時間を過ごしていました。

つくづく、ボクが10代、20代30代の頃の事を思い出していました。

個人的な視野の狭さもあると思いますが、ボクは今ほど自由を感じている事は無いと思いました。


この自由は、ある意味視野の狭さが、どの位狭いのか?が少しずつ観えて来た「自由」であり、不自由さの範囲が以前よりもクッキリして来たような「自由」だと思いました。

インターネットの広がる範囲と共に、私たちは自分の身の丈も知ったのです。

夢の様な夢を目指すのでは無く、自分が「どうだったらしっくり来るのか?」が現実的に手に握れるようになって来たのです。

自分が歳を取った所為もあるかも知れませんが、それにしては今の若い世代の中に「地に足を着いた」様子を観ると、これは大きくゆっくりとした世界の変動を感じているのだと思います。


「しあわせ」は、他人と比べてお金があるとか、頭が良いとか健康だとか、美しいとかモテるとかじゃ無く。

自分に「納得してるの?」で計れるように成って来ました。

それら全てを持っていたとしても納得していない人の姿が見える様になったのです。

持ってなくて納得して無い人も、持って無くても納得している人も観えます。

不平不満を言う事で自己表現するのか、小さな喜びを見つけて自己表現するのか?

不平不満は小さく凝り固まり孤立し、喜びは他人に安心を伝染させます。


ボクは今ほど、人が活き活きしているように見える社会を知らないと思いました。

全く逆に見る人が居るのも知っていますが、それも含めて、その人の意見が耳に入るからです。

「しあわせ」はその人その人で違うんだ。というのが分かって来たのです。

そして皆、幸せに成りたくて表現を繰り広げているのです。


話はちょっと変わりますが、ボクも自分がどうして行ったらしっくり来るかと言うのをこの数年ずっと考えて来ました。

アーティストは舞台や個展やお披露目の場を持ち、そこを目指してエネルギーを集中させます。

ボクは数年前からこういうやり方に少し疑問を持ち、各地の恒例の個展を取りやめ、ホームグラウンドまで卒業しました。

イベントは面白いんですが、本音を言うと疲弊するんです。

それは非日常であり、作家が毎日を過ごす感覚とは違い、一種のお祭り騒ぎです。

でもそこにしか表現の場が無いんだと、ボクはずっと思い込んで来ました。


実は、作る事に集中している、その一番美味しい所を観れるのは作家のアトリエです。

もう個展をやらない訳じゃ無く、思いつきやノリでどんどんやって行くと思いますが、自分の主軸を個展会場からアトリエに移す事に決めました。

つまり「アトリエ主義」を宣言いたします。

ここがマシマタケシの絵を観るのに最高の場です。


これからは自宅アトリエでお祭り騒ぎをして行こうと思っております。

何卒よろしくお願いいたします。





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by prema-maaru | 2018-03-22 18:49