この日
例年よりも一週間ほど早く河原にハリエンジュの練乳色の花が開いた。
するとこの花が咲いた頃にしか見かけない大振りのハチが花の蜜を吸いに来る。
ハチは空中に一定距離の縄張りがあるみたいで、その見えない区分に他の虫が近づいてくると威嚇して近寄る。
空中に留まりながら、たまに思い出した様に蜜を吸う。
そのせわしない働きがこれからしばらく面白く眺められる。
今日は中止した青山の個展の初日だった日で、予定通りだったらオープニングのマルシェやヨミの星座の公演があった。
中止したのはある方の死がきっかけだった。
その方はボクの絵を予約していて、建設中の家が完成したら自分の書斎に絵を二枚飾りたいと、ウチに来て選んで行ってくれた。
完成した時期を過ぎても連絡が無いので連絡してみたら、家族の方から急に亡くなった事を聞いた。
それほど親しい方では無かったが、ウチに来てくれた時に話した内容や人柄が、そして選んでくれた絵が、ずっと前からその人と親しい友達だったみたいに思えて胸にズシンと来た。
お金の事も大きかったが、実際はその死がボクがずっと乗り続けていた暴走列車を止めてくれた。
暦の、ある地点に目印を打ち、そこにめがけてコツコツと積み上げて行く。
実際はフルパワーを出してそこを目標にして、大きな収穫を期待して走らせる。
それを悪い事だとは思って居ないが、足元を見るとすり減っているし疲弊している。
自分だけじゃない、世の中はほとんどそういう図式で回っている。
先日演劇の舞台を観て、この二時間ほどの劇の、企画から稽古、衣装や照明、その他目に見えない様に積み上がった諸々が、ボクは基本的に一人で一枚の絵に焼き付けているのだと感じた。
劇団だったら大勢で運営する、大勢だったら規模もそれなりになるが、ボクは一人の枠一杯にそれを転写する。
たまたまその演劇は大きな会場を借りての公演では無く、稽古場で少人数を対象としていた。
それも偶然じゃないだろう。
絵をイベントに向けて描いて行くのじゃなく、日々のうつつの中で織物のように重ねて行く。
ウチに来てくれたらいつでも観られる。
それがある程度集まったらどこかでお披露目をするのも良いし、誰かに声をかけてもらえたら遠くに行くのも良い。
毎日掃除したりご飯を食べたりするように絵を描き、それを繰り返して行く。
そういう絵を描いて行きたいとずっと思っていたが、その死がおおきなきっかけを作ってくれた。
20歳くらいから絵を仕事にして来て、実はずっとそういう事を考えて来た様に思う。
アーティスト風体の虚栄を(むろんそれは大切な価値ではあるけど)演出する事をしなくても良い。
陶芸家が工房の軒先で焼き物を売るみたいに、ちょっと田舎にある眺めが良い部屋で。
ここで絵を描いて売って行こうと思います。
この地点から前後1000年位を見渡しながら、何かの役に立つ絵を描いて行きます。
どうぞ宜しくお願いいたします。