「お産の絵」ほくと助産院
これで4つの絵を描いて、当初に比べると「どこに向けて描くのか?」というチューニングも合いやすくなりました。
「どこに。」というのは、この絵は全国各地の助産所や、まだご希望の連絡はありませんが、産院とか病院とか、絵を掛けておく余裕がある場所だったらどこでも良いと思っています。
「お産の絵」はその施設に贈呈するというよりも、これから産まれてくるこどもに贈る絵だからです。
現在お母さんのお腹に宿った生命も、未だ受肉をしていない、これから数年後に産まれてくる子も、もっと先に産まれてくる子も、それまで居たところ。
ところと言うと何か特定の場所があるような言い方ですが、むしろその場所の方が広く大きくて、私達の住む世界はそこから見たらほんの小さな特定の場所のような気がします。
ですからボクは「そこ」の生命力に向けてチューニングを合わせていて、だんだん描き進む内に、本道というか本筋というか、これこそがARTそのものなんじゃ無いかと再発見するのです。
未だ姿かたちを持っていない、けどはっきりと居るもの、それを霊と呼んだりエネルギーみたいに言う事もありますが、私達の世界を創り出している本元に常に意識を合わせていると、日常で見える風景も言葉も、まるで違う様に思えて行きます。
よくよく考えれば、死というものは見かけだけのもので、万物は見えても見えなくても常に生育しか出来ない事が分かります。移り変わって行くしか出来ないのです。
今は未だ生命力として働いている力が、男女の出逢いによって受精して細胞分裂を始め、少しづつ「にんげん」に近づいて来て、誕生して空気を吸い込みこの世界の仲間になります。
それから人生を生きていつか死を迎えて、また生命力に溶けて動き始めます。
生命はいつも居るのです。
こうしていつも見えないものへ、姿が無いものに気持ちを向けていると、眼に見える色や形があるものの貴重が奇跡と言うレベルなんだと感じてこみ上げるような気持ちに成る事が度々あります。
自分は絵を描いて来て、ここに来てようやく今までの苦労が報われた様な、還る場所に帰って来た様な気持ちです。
「お産の絵」は誰かに見せるための作品では無く、新しい生命を出迎える生命力の祝辞のようなものです。
あなたの絵