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気候と風土

これは自分が経験した事でしかないが、石垣島の気候と風土についてちょっと書いてみよう。
今は3月の後半だがこの所晴天が続いていて、気温は最高25℃の最低19℃前後である。
ただし湿度が低く60%台なので爽やかで、野外で陽に当たると半袖だが日陰や夜間は羽織物が要る。
丁度関東地方のGW辺りの気候だと思う。
この様な過ごし易い気候は4月の後半までで、そこから一気に温度と湿度が上がり熱帯感が増す。
5月の連休を過ぎると梅雨入りをし、一日中ミストサウナの中にいる様な状態になる。
6月半ばのハーリーの頃に梅雨は明けるが、そこから10月半ばまで最高気温34℃最低30℃前後の毎日が続く。
7月後半に沖にシュノーケルに連れて行ってもらった事があるが、水温も32℃ほどあり、まるでお風呂に浸かっている様だった。
水中の優雅な魚たちを、よく茹だらないなと眺めていた。
でも話を訊くと今から20年以上前までは最高30℃最低25℃位が当たり前で、夏もさほど大変じゃなかったそうだ。
毎年夏には台風が襲い、毎週の様に到来して食べる物も無くなり電気も止まる事がある。
石垣島を紹介している媒体からの印象だと、いつも青空とエメラルドグリーンの海と思われているが、実は雨や曇りが殆どだ。
ただし晴れたら気分が高揚する程美しく、それを差し引いても島暮らしは楽しい。
11月に入ると気温は少しずつ下がり、年明けの頃は寒いと思う日がある。
こちらの住まいは夏向きで風通しが良く暖房器具も余り使わない。
1月から3月頭までは実感として冬と感じる日が多い。
植物も縮んで見え、冬季も曇天雨天が多いので気分が晴れない事がある。
でもこれから4月に入り、花は咲き木々は枝葉を伸ばしコントラストのくっきりした季節がやってくる。
うりずんと呼ばれるこの時期にこちらに来れば、本当に天国だと思われるだろう。
南風(ぱいかじ)がそよぎ気分は解放されていく。
夏は祭祀のシーズンで、各集落ではそれぞれ特徴のある祭りが開催される。

マシマタケシ





# by prema-maaru | 2025-03-24 09:49 | Comments(0)
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御嶽


石垣島には方々に「御嶽/うたき」と呼ばれる聖地があり、オンとも呼ばれている。

大抵は入口にコンクリート製の鳥居があるが、これは明治期に日本政府が神を祀っているなら神社とみなす、という通達で建てられたものらしい。

しかしそもそも御嶽はその集落の先祖を祀っている場所で、その先祖も沖縄本島や八重山の離島から強制移住させられた祖村を想い、その場所を村民の魂の拠り所として存在している事が多い。


いわゆるパワースポットであり、森の中にも街中にも多数あるが、一歩入れば日常の時間を忘れてしまう様な精神的な洗浄感を覚える事が多い。

大抵は古く、朽ちる寸前の御殿の奥に拝所があり、その更に奥に本来の御神体とも言える場所があり、大抵は石が置いてある。

御嶽の入り口に御嶽の名称が記されているだけで、神社や寺にある様な祀られている神仏の名などは無い。


まだ石垣島に通う様になった時分は気が向いたら参拝していたが、今ではもう外から眺めるだけで直視も避ける様になった。

つまりこの聖地はここで生まれ育った方々と祖霊の家であって、他所から来た者がズケズケと足を踏み入れては失礼に当たるという感覚が自然になってきたからだ。

そう感じる様になって来たのは、ある集落の成人式に気軽に参加した時だった。大きな公民館いっぱいに詰め掛けた村民の中で外部の人間はほんの僅かだった。成人者の八重山舞踊や式進行を見ている中で、周りの人達がボクらの存在を全く意識していない事に気が付いた。

無視されているとか怪訝な視線を感じたとかは無い。

しかしまるで、その方達にはボクたちの姿が見えていない様な違和感を覚えた。

普段は何処から来たとか観光か?と気さくに聞いてくる人懐っこさがまるで無い。

大勢の中でボクたちだけが違う空間にいる様だった。


同じ様な感覚は様々な現地の祭りの最中も感じる事がある。

観光客が集まる盛大な祭りも、基本的には自分たちの為に執り行っていて、どう見えるだろうとか感じるだろうとか、こうすれば盛り上がる等と言ったエンターテイメント性が全く無い。

祭りの全ては村民の歓びの為であり島の為である事に終始する。


しかしそれこそがこの島の魅力であり、変化を加えながらも一貫して流れる本流から逸れる事のない伝統なのだと思う。

アマゾン流域やアフリカの部族の祭りも、多分この様な祭りなのだと想像する。


マシマタケシ




# by prema-maaru | 2025-03-23 13:41 | Comments(0)
書くことで_f0179615_07203432.jpeg

書くことで


久しぶりに日記の様に思いを綴り書いていたら、寡黙な空間に青空の切間がのぞいた様に思えました。

これを書いているのは早朝で、東の空が染まり始め、鳥が囀り出し、少しずつ人間の営みの音が方々で聞こえ出した時間です。


ボクが会話や文章で八重山の事を褒め称えると「そんな事は無いよ、深い闇はいっぱいあるよ」と返される事があります。

全く否定は出来なく、人が住む場所にも環境にも行政にも、人の欲や情念が絡む闇は何処にでもあり、それが無い場所など何処にも無いと思います。

幸福度No. 1と国民が自画自賛するフィンランドは、もう一方で自死や精神の病を抱える大国だと聞きます。

行政が生活の細部まで整う事の弊害として、各個人の繋がりや助け合いが無くても生きていける。

それによって極度の孤独感を抱える人が多いのだそうです。


ここ八重山はその逆で、海が荒れて物資が届かなかったり、それこそ台風で何日もインフラが止まったり、市街地以外は過疎なのでお年寄りも子供も一緒になって協力して生きて行かなくてはいけない島です。

人と人の結びつきが非常に強く、その反映としては何処に居ても一人になれない、全部知られてしまっていると言うのはあります。

闇はその延長に枝葉の様に拡がっています。


ただ現在のAI管理の世界の最先端としてあるのがフィンランドだとしたら、八重山は古代から時が止まったままAI的な便利さも加わっている稀有な場所であるかと感じています。

同時に古代から続く闇も相当深いのかも知れません。


よくことわざで「人は自分が映っている鏡を見てそれを世界だと思っている」と言うものがありますが、もう一方の言い方で洞窟の奥深くで松明に照らされた壁に映る自分の影を見て怪物や化け物だと思っていると言うのもあります。

つまりどんな解釈も「その人自身」から外に出る事は難しいと。


光も闇も一緒に抱えて朗らかに生きていきたいものです。


マシマタケシ






# by prema-maaru | 2025-03-22 07:20 | Comments(0)
八重山空間_f0179615_08492702.jpeg
月の地表に立ったら私たちが月だと認識してるあの月は見えなくなる。
多分その場合は地球が月と同じ様に身近な天体だと思えるだろうが、地球時間の1ヶ月の半分が夜で夜空に地球が輝き、半分が昼という感覚に馴染むのに随分時が必要だろう。
同じ様な環境認識の差異をボクは八重山に来てから感じている。

石垣島は沖縄本島並みとは言えないが宮古島と同じくらいの街で、更に石垣島は竹富町の島々とフェリーで結ばれるハブ島でもある。
多くの観光客と多くの地元民と多くの諸島からの買い物客が行き交う。
石垣島にはドンキもあるしニトリもあるし、24時間開いているスーパーもある。
他の島々には基本的に小さい商店があるだけで、その島の住民や観光客も石垣島の豊富な物資に頼っている。

その石垣島だが都会的なインフラを備えている反面、古代的とも言える祭祀や文化や芸能が今なお大切に残っており、祭りの日程も大体の時期こそ定まっているが、各村々の祭の日程はツカサと呼ばれる女性司祭が神との対話によって決まる。
結構ギリギリまで発表されない事が殆どで、それ目当てで八重山を訪れる人達は長期の旅行日程の確保を余儀なくされる。
祭りは全ての日常行事に優先されて、職場や学校を休んでも咎められない。

ここは当然日本国だが、気候も風土も習慣も本土とは違った面があり過ぎて、言葉の違いも大きいがその言語が構築する精神性まで現代の日本社会とは大きな違いを感じる。
ただやはり日本語が話せて行政は日本政府の方針に沿って運営されているので、外から入った私たちの様な移住者も、その変化をさほど感じずに生活出来ることは出来る。

この島に徐々に馴染んで来たボクは、冒頭に書いた月の比喩を当てはめる。
もうボクには沖縄だと思って来た沖縄が見えないのだ。
そこは新しい天地で、今まで60年以上過ごして来た認識がひっくり返る感覚を覚える。
しかし月の地表に立てばそこの時空が目の前にある様に、八重山の空間はボクの過去の記憶と習慣を少しずつ塗り替えて行っているのだ。


マシマタケシ




# by prema-maaru | 2025-03-21 09:21 | Comments(0)
それから_f0179615_13403754.jpeg
ある時期はFBに日記の様に思い連ねた話を書いていました。
それが、コロナが収まって行く辺りからどうもしっくりと来なくなり、日々の散文が疎かになって行きます。
その時期というのは殆どの方とも同期するのではと思うんですが、ちょうど今までの世界観が終わり新しい世界の胎動を感じていた時期なのではと思います。
その後ボクは石垣島に移住を決め、日本本土とは違う旋律とリズムが流れる八重山の霊的集合空間に入る事になりました。
2024年の暮れにこの10年切っ先を突き合わせ切磋琢磨して来た盟友の舞踏家「竹内空豆」が癌で亡くなり、自分が描いた絵を正面から観てものを言ってくれる戦友を失い、途方に暮れました。
そんな中で地元のヤエヤマアッチャーズバンドという、BEGINの比嘉栄昇さんが彼の次男(21歳)の友人達と組んだバンドの公演に行き、ある意味日本の音楽シーンで大御所に入る比嘉さんが、まるで高校の部活の様な気持ちでそのバンドに参加している姿を、メンバーと一緒にレジの大袋を三つも四つも下げて買い出しする後ろ姿を見つけ、呆気に取られていました。
年齢の近い、キャリアも十分な彼がどうしてそんな面倒な事をするんだろう?

ある日は元ウルフルズのウルフルケイスケさんのライブに行き、10人少ししか居ないお客さんの魂を振るわせる歓びの唄を全力でやっているのに衝撃を受けました。
ケイスケさんはソロ活動の為にバンドを辞めて、マネージャーを付けずに全国のライブハウスや小さな飲食店で毎日のように歌っているそうです。
彼も年齢が近く、比嘉さんと同じようにひと時代みんなの記憶に残ってる様な過去の姿を自ら書き換えている様に思います。

その他数え切れないほどの沢山の囁きや大宇宙からのメッセージを受け取り、自分も新しい世界に入って行きたくなりました。
八重山で感じるのは皆さん本当に人柄が良い。
良いだけじゃ無く、ある意味これが悟りの生き方なんじゃ無いかと思う程無為の人がいっぱいいます。
自分もこの捻じ曲がった性格や人柄をこの環境で更生させ、真っ直ぐな絵を描いて行って皆さんに喜んでもらえる事が今の願いです。
というわけでこれからこのブログに思った事考えた事を少しずつ書いていきます。

このブログは屋久島に移住する少し前の名古屋生活の時から始め、もう随分バックナンバーも貯まっております。
現在は訪れる人も殆ど居ないブログですので、人知れずの始まりにはピッタリです。

更生や誤字脱字間違い訂正などの作業はせず、話し言葉の様に書きますのでお見苦しい所はご容赦ください。

マシマタケシ




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# by prema-maaru | 2025-03-20 14:22 | Comments(0)