トビラエアソビ ◯ アグレアブル*ミュゼ
個展「tobirae」の期間中、アグレアブル*ミュゼの妙香さんは、tobiraeの楽しみ方を数々見い出しました。
その過程でtobiraeは、ただの絵では無く、風雅な「道具」へと変化したのです。
アグレアブル*ミュゼではこれからも引きつづき、妙香さんの妙技をお楽しみいただけます。
日光の差し込む和室。
薄曇りの鈍い色。
夕陽色を帯びた境目。
蝋燭に浮かび上がる隠された絵。
重ね扉の奥行き。
隠された扉の呼吸。
様々な「tobirae」を遊んで下さい。
tobirae作品の他にも、優雅なひとときを堪能していただける作品が揃っています。
アグレアブル*ミュゼ
国立駅北口すぐ。
美術作品というものは、絵画なら壁に、立体彫刻なら床に、と、それぞれの形態で住む場所が違うのが一般的だ。
しかしこのtobiraeは、壁でも床でも自由気ままに移動出来る。
元々は「屏風絵」からのインスパイアだけど、屏風絵ほどに決まり事が無い分、tobiraeの自由度は未知数だ。
ほんの偶然に二枚組の絵を90℃の角を合わせてみたのが始まりだが、それだけでは安定しないので、蝶番という「別のもの」に助けを求めた。
互いに銜えられた二枚の絵は蝶番でひとつになり、平面でも立体でも好きなように飛び回る。
ボクはこの「蝶番」に胎盤や臍の緒(臍帯)の役割を見いだす。
子宮の中に住まう胎児は、胎盤と臍の緒で母体と繋がっている。
「二人の人間がひとつ」である状態が妊娠期間だ。
出産によってそれらは切り離されるが、ボクには切り離された胎盤が、意味合いとしてずっと子ども(これはもちろん私たち自身でもあります)と繋がっていると感じている。
それは「完全なる愛」の象徴であり、決して見捨てず生命を注ぎ込む「神的」な存在として。
しかもそれが「自分自身だった」という結末まで語っている。
*これは繰り返しますが「私たち自身」の話です。
tobiraeに進化した絵が示唆するのは、私たちも単なる神の表現物というだけでは無く、神の道具である、という覚醒だ。
自由自在に二つの次元を行き来する、ヒト本来の精神だ。
ここには常に「蝶番」を意味する「別のもの」が不可欠だ。
もしそれが現れなかったら、絵は永遠に二枚のままだから。
そして蝶番は、その二枚とは異質の、全く「絵的」ではないものが求められる。
これは単なる美術の話で無くなる。
私たちの日常に渦巻く混沌に、一つの切り込みが入り、隙間が生じ、立ち上がる時。
わたしたちのtobiraeも姿を現すのです。
2014年 個展の予定
マシマタケシのホームページ
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by prema-maaru
| 2014-02-04 08:56