マシマタケシ個展 よわいちから MAMMA

マシマタケシ個展
「よわいちから MAMMA」
MAMMAは、お母さん、まんま(ごはん)そして、そのまんま。
府中本町にある民家を改築した畳敷きのギャラリーで、「よわいちから」の作品を展示します。
ギャラリーのはカフェが併設されていて、ギャラリー内でまんまやお茶を楽しみながらお過ごしください。
「よわいちから」とは、2011・3・11を期に創作したコンセプトで、「よわい」という力強さ、大切さを伝える作品群です。
主にお母さんと子供の姿を描いています。
今回は新作を携えてお待ちしています。
今まで描いた作品も多く展示します、記念に、プレゼントに最適です。
ばしょ merdre メルドル http://uma-merdre.com/
にちじ 2017年9月6日(水)~9日(土)
OPEN 11:00~18:00
参加費 400円(1ドリンク付き)
最終日の9日 15:00より、お子さんも楽しめるLIVEを用意しています。
mardre 〒183-0025 東京都府中市矢崎町1-9-4
電話 042-319-9298
京王線府中駅徒歩15分/JR府中本町駅徒歩8分
*詳しい地図はmerdreのHPをご覧ください。
LIVE ストリングラフィとボイス
出演 鈴木モモ 横手ありさ
9月9日(土)15:00~
ライブチャージ
大人(中学生以上)1000円+ドリンク代
子ども(4歳〜小学生)500円、乳幼児(0歳〜3歳)無料、子ども2人目から300円
※お子様はドリンクはつきませんが、別途ご注文いただくことも可能です。
◎ライブ前から個展にお越しの方で、そのままライブをご覧になる方は、ドリンク代は必要ありません。

鈴木モモ
ストリングラフィ演奏家
2002年よりストリングラフィ・アンサンブルに参加、数多くの舞台に立つ。
近年、ストリングラフィの新たな可能性を追求する実験室「StringraphyLabo」を主宰。
単独でのストリングラフィの演奏・コラボレーション・WSを行う。
国立音楽大学教育音楽学部教育音楽学科第ll類卒業。
先日「嵐」との共演を東京ドームで行う。

呼吸と声から派生するあらゆる響きで色彩を運ぶ唄い手。
自然に散りばめられたモティーフ、リズムを模倣、反復し、即興的に響きを紡いでいく声の表現で、
のびやかに自由に境界を超えている。
主な参加グループ「SUNDRUM」「つむぎね」
MERDRE(メルドル)とは、もともとはフランス語のmerde(英語の「shit」にあたるスラング)のスペル違いの造語です。
1896年に初演されたアルフレッド・ジャリの戯曲「ユビュ王」の冒頭で感動詞として叫ばれ(発音は「merde」とおなじ。検閲を免れるために脚本にはmerdreと書かれていた)当時のブルジョワジーに大きなショックと敵意をよびおこしまし、戯曲「ユビュ王」はのちのダダ、シュルレアリスムや不条理演劇に大きな影響を与えました。私たちは21世紀におけるMERDREを目指し、国内外のアーティストの活動の場として、アーティストと共に成長して行きます。
「よわいちから」のトリセツ
2011年3月11日の天災と事故の後、私はこれからどう生きて行こうかと真剣に考えました。
チェルノブイリもリアルタイムで経験していたし、それからの事も一応は知っていました。
たった一日で世界が一変し、もうその日以前の世界には戻れなくなってしまった「コトの大きさ」をひしひしと感じていました。
数日悩み抜いた私は「絵を描いて行こう」と決めました。
もちろん、それ以前もずっと絵を描いていましたが、ここで決心した「絵」は、やはり全く別のものになっていました。
「絵を描いて行こう」と夜のベランダでオリオンを眺めていたら「よわいちから」という言葉が浮かびました。
「よわい」「ちから」。。。
これはオリオンからの賜り物でした。
力というものは「強さ」を表す値ですが、それが「よわい」とは?一体何を指し示しているんだろう?
その言葉に潜入し行き着いた答えは「日常」でした。
世界で、世間で、どんな天地を揺るがすような事が起こったとしても、私たちには日常があります。
毎日食べ、寝て、話し、お風呂に入ったり本を読んだり。
そんな日常を指し示す「ちから」なのです。
その象徴は「おかあさん」です。
お母さんが毎日家族を支えて、丁寧に毎日掃き清め、祓い、皆を送り出し迎える。
その事がぐわぁ~~~~と迫って来ました。
私たちに世界を動かす力は遠いかも知れないけど、毎日を満たす力はある。
小さくても貧しくても、それを満ち満ちと満たす力は皆持っているのです。
むしろそっちの方が「つよいちから」だと気づきました。
かくして私はそれから「よわいちから」と名して数々の絵を描いて行く事になりました。
そしていつも、たびたび、立ち止まりながら振り返り、この「よわいちから」という言葉の深さを味わっています。
この言葉を考えるだけで、私は絵が泉の様に湧いてくるのを感じるのです。